翻訳|Amiens
フランス北部,ソンム県の県都。人口13万5406(1999)。パリの北130kmにあり,大聖堂で知られ,司教区,大学区も置かれている。ソンム川に沿う交通の要衝で,ローマ時代からピカルディー地方の中心都市であった。1185年に王領に併合されたが,中世を通じて,市民団は商業・手工業による富を背景として自治を主張した。16~18世紀には,ハプスブルク・スペインと対立するフランス王国の重要な軍事拠点としての機能を担う一方で,毛織物工業の中心地として大きく発展,海外輸出も盛んに行われた。しかし,19世紀になると工業の中心はむしろ綿織物工業に移り,アミアンの地位も相対的に低下した。第1次,第2次世界大戦中は爆撃による大きな被害をこうむり,一時はドイツ軍の占領も受けた。第2次大戦後は,織物工業の比重が低下し,金属・食品・化学工業が発展している。なお,1802年の〈アミアンの和約〉については,〈ナポレオン戦争〉の項を参照されたい。
→アミアン大聖堂
執筆者:林田 伸一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
フランス北東部、ソンム県の県都。人口13万5501(1999)、13万2874(2015センサス)。パリの北132キロメートル、パリとフランス北部地方の中間にあり、古くからピカルディー地方の中心で、ソンム川に沿う。県庁、控訴院が存在することから行政都市としての性格が強く、司教区があることから宗教関係の諸施設も多い。大学が創設されて第三次産業機能も充実している。織物・衣料工業(ビロード、綿、絹、羊毛、麻、既製服、靴下など)は中世からの特産品であり、機械、電気器具、タイヤ、食料品、印刷、染物の各工業も加わって工業業種が多様化し、工業化が人口増加を引き起こした。農産物の集産地であり、旧市街地がソンム川の七つの支流にまたがっているので、野菜の水上市が開かれる。
ローマ時代からこの地域の中心地で、12世紀末にはフランス王の王領、15世紀にはブルゴーニュ家の領土ともなった。16世紀末に一時スペイン領になったが、アンリ4世により奪還された。1802年、ナポレオンとイギリス軍との平和条約がここで結ばれた(アミアンの和約)。第一次、第二次世界大戦により市街地は破壊を受けた。旧市街地の中心にあるアミアン大聖堂は、フランスで最大規模のもっとも優れたゴシック建築(13世紀)の一つとして知られる。
[高橋伸夫]
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