日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
ケンブリッジ・プラトン学派
けんぶりっじぷらとんがくは
17世紀後半のイギリスで、ケンブリッジ大学を中心に、プラトン主義または新プラトン主義に近い立場にたつ一群の道徳学者、神学者、哲学者たちをさす。彼らは、ケンブリッジ大学で勢力のあったカルバン主義(カルビニズム)の教条主義と大学外では狂信的教派を強く批判し、理性的態度と寛容を説いた。創始者ウィチコートBenjamin Whichcote(1610―83)は著書を残さなかったが、その影響は大きく、彼の思想は後継者たちによって発展、展開された。代表者には、R・カドワース、H・モアがおり、そのほかにはJ・スミス、G・バーネット、N・カルバベル、R・カンバーランドらがいる。オックスフォード大学出身の同調者としては、J・グランビル、J・ノリスらをあげることができる。
彼らは、真の宗教には心の平静が必要であり、これを理性的であると考え、信仰と理性との対立はないとした。ここから主意主義を排して主知主義をとり、善は神が命ずるがゆえに善なのではなく、本質的に善なるものを神は命ずるとして、一種の理性宗教を説き、無神論者とカトリック教徒を除く万人の属しうる「一つの広い教会」の理念を抱いた(広教派)。この教会では各人がそれぞれの仕方で魂の救済を求めうるとし、成員を拘束する教義、儀式、綱領を不必要とした。プラトン主義の名称は、ウィチコートが魂の平静、反世俗性というプラトン的雰囲気を強調したからであるが、個々の学説では新プラトン主義に近い。またカルバン主義とともに、ホッブズの無神論、カトリシズムの権威主義も攻撃目標とする。初期にはデカルト哲学を歓迎するが、のちにはその機械論が無神論の危険をはらむとして排除した。しかし生得観念を肯定し、またモアやグランビルは魔術や精霊を肯定するなど理性の規定は一貫せず、不明確なままであった。総じていえば、宗教の実質を信仰よりも道徳に置き、ロックや18世紀イギリス理神論への道を準備するが、その反世俗性などからうかがわれるように、教養ある人々の間の趣味的色彩も濃く、時代を動かす思想とはなりえなかった。
[小池英光]