翻訳|guerilla
独立した武装集団によって行われる不正規戦をいうが,現在ではそれに参加する者,あるいはその団体を指すことが多い。ナポレオンが1808年イベリア半島に出兵した時,スペインの農民たちは各地で抵抗し,彼らを5年にわたって半島に釘付けにした。この半島戦争はナポレオンのヨーロッパ征服を初めて中断させ,ひいてはナポレオン退位(1814)につながる予想外の政治的収穫をあげたことから,スペイン語で土匪(どひ)式の小戦闘を意味する〈ゲリリャguerilla〉という言葉が広く普及し,そうした待伏せ攻撃などの遊撃戦闘行為を行う者のこともゲリラと呼ぶようになった。フランス語で党派に属する者や仲間を指す〈パルチザンpartisan〉もゲリラと同義語として使われることがある。正規軍の戦闘とは異なり,ゲリラには定まった戦線はなく正規軍の戦闘に補助的役割を果たすが,そのことによって勝利の条件をつくりだすことができる。
帝国主義の時代に入り,ゲリラの戦略・戦術はさらに発展する。ボーア戦争(1899-1902)でボーア人がゲリラ戦でイギリス軍に対抗したことは知られているが,第1次大戦からロシア革命にいたる時期には,アラブの民族主義ゲリラを組織しトルコ軍と対峙してイギリス軍を助けたT.E.ロレンス(《知恵の七柱》にその経験を概括),および都市労働者やインテリゲンチャを組織してプロレタリア革命におけるパルチザン戦法を生みだしたレーニン(《プロレタリア革命の軍事綱領》など)が登場し,ゲリラの戦略・戦術が体系化される。こうした経験をへて,第2次大戦においては抗独レジスタンス運動(フランスにおけるマキなど),抗日戦争などでゲリラ戦が広範に展開された。抗日戦で農民ゲリラを組織し遊撃戦の戦法を駆使した毛沢東は,《持久戦論》(1938)などでこれを体系化し,ゲリラは民衆と〈水と魚〉の関係を保ち,しだいに敵を弱め,味方を強大にしていく持久戦であり,政治戦であるとしている。抗日戦から中国革命へと勝利を導いた毛沢東理論は,第2次大戦後,アルジェリア戦争,ベトナム戦争,キューバ革命などに大きな影響を与え,以後の第三世界における解放運動に継承されて,農村から都市を包囲し,ゲリラを正規軍に発展させる戦略・戦術が定着してきている。こうして現代ではゲリラ戦が局地戦争の主要な戦闘形態となったといえよう。
なお国際法上,捕らえられたゲリラの取扱いが問題となる。第2次大戦中のレジスタンス運動の経験から,1949年の捕虜の待遇に関するジュネーブ条約は,義勇隊や民兵隊に要求されるのと同じ条件を満たす〈組織的抵抗運動団体〉の構成員に対しては捕虜待遇を認めた。しかし,その条件を満たすことはゲリラの場合には不可能に近いため,現在の国際法の下では,捕らえられたゲリラは戦時犯罪として処罰を免れえない。今日では,条件を緩和してゲリラにも捕虜待遇を与えるべきだとする見解が強くなってきている。
執筆者:八木沢 三夫
ゲリラ戦は大別して,優勢な軍事力によって占領された国民がある条件下で侵略者に反抗しその占領を放棄させることを目的として行う場合と,既存の体制の転覆,あるいは革命を目的として行う場合とがある。前者の例としてはナポレオン占領下のスペインや,ボーア戦争,インドネシア独立戦争等のゲリラ戦があり,後者の例としてはキューバ革命等におけるゲリラ戦がある。ゲリラ戦は本質的には,組織と物的戦力において劣る弱者が強者に対して加える破壊であって,その終局目標は相手の要点に対する攻撃によって相対する強大な軍事力の有効性を損ない,物的戦力の組織的発揮を不能とし,ひいては敵軍の秩序を混乱させ,闘争意志を挫折させ,大軍事力は存在してもその戦力を有効に発揮できないようにすることにある。
ゲリラ戦理論の代表は毛沢東であり,《遊撃戦論》等多くの論文の中で,ゲリラ戦の戦術原則ともいうべき〈十六字戦法〉--敵が攻撃してきたら退き,敵が駐留すれば擾乱(じようらん)し,敵が疲れれば攻撃し,敵が退けば追撃する--を考案して,敵との相対関係における柔軟な対応とゲリラ自身の自己保全について強調している。毛沢東のほかにも,ベトナムのボー・グエン・ザップ(《人民の軍隊・人民の戦争》),インドネシアのナスティオン,キューバのE.ゲバラ(《ゲリラ戦》)らがゲリラ戦理論をそれぞれ展開している。これらの理論ではゲリラ戦が本質的に弱者の戦法であるところから〈ヒット・アンド・アウェー〉に象徴されるような作戦要領とならざるをえず,軍事的に限界があることを指摘している。このためゲリラ戦の効果について,〈ゲリラ戦のみでは敵を撃滅はできず正規戦に発展させる必要がある〉として,ゲリラ戦を正規戦へと漸次的に発展すべきものと位置づけている。また,ゲリラ戦実施に際して,非軍事的側面,とくに住民の支援・協力の獲得の必要性が強調されている。それらの諸論から,ゲリラ戦を成立させる条件は奇襲,住民の協力・支援,根拠地の形成,自然環境の熟知に要約できる。
なお,対ゲリラ戦では,(1)優越した情報活動と主動性を保持してゲリラ活動の機先を制すること,(2)要時要点で十分な戦力を投入して一挙に撃滅するよう集中攻撃すること,(3)地域住民へ総合的な施策を行ってゲリラの分断・孤立化をはかり,生活基盤から遊離させること等が考えられる。かつてベトナム戦争時にアメリカが特殊部隊special forceを編成してゲリラに対抗したように,〈ゲリラを制するには敵より優れた味方のゲリラ活動〉が有効ということになるが,現実には,地域住民の支持を得て一体化しているゲリラに対しては,対ゲリラ戦は困難を極めるといえよう。
→解放区
執筆者:茅原 郁生
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
一般に不正規兵による遊撃的な戦闘や戦闘部隊をさす。もともとは「小さな戦争」を意味するスペイン語。正規軍の活動と連動しながら、独立した小部隊で敵の側面や後方に急襲・偵察を行うことは、すでに18世紀には「小戦」とよばれて、西欧諸国の軍隊で採用されていたが、19世紀初めにナポレオンの支配に反対して、スペイン人の小部隊が多数、反仏抵抗運動を展開したため、ゲリラが「小戦」の通称となった。ナポレオンはロシア戦役でもゲリラ(パルチザン)に悩まされている。ドイツの兵学者クラウゼウィッツはこうしたゲリラの闘争を、『戦争論』のなかで、侵略者に対する国民的な抵抗戦争の重要な要素として位置づけている。
19世紀にはさらに、東欧の少数民族の反乱活動や、普仏戦争期の占領地でのフランス人の抵抗運動でも、ゲリラ型の武力闘争が採用されているが、列強の植民地支配の拡大とともに、各植民地での反乱や抵抗にも、ゲリラが数多く登場するようになった。20世紀に入ると、ロシア革命直後の同国での内戦や対干渉戦争でパルチザン活動が多用された。やがて中国革命の過程で、中国共産党は自覚的に不正規の遊撃戦を大々的に展開し、軍閥、国民党軍、日本軍と戦った。この経験は毛沢東(もうたくとう)の手で、持久型の「遊撃戦論」としてまとめあげられている。それによると、ゲリラ戦争は力の弱い被抑圧人民が侵略者との闘争でまず採用する、人民に依拠した遊撃戦であり、そのおもな目的は、敵を疲弊させ、味方の力をしだいに強固なものにする持久にある。ゲリラはやがて正規の人民軍へと成長し、この正規軍によって侵略軍との最終的な決着が行われる。毛沢東の「遊撃戦論」は、第二次世界大戦後の多くの民族解放運動に強い影響を与え、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの諸地域でゲリラ戦争が行われた。ベトナムのボー・グエン・ザップやキューバのエルネスト・チェ・ゲバラのような新しい理論家もそのなかで登場している。
ゲリラ戦争の主要舞台は、虐げられた農民がおり、ゲリラの行動の自由も大きい農村であったが、1960年代には、都市においてもサボタージュ、テロルなどの可能性が試みられ、都市ゲリラという新しい形態が登場している。
こうしたゲリラに対して、正規軍や公安部隊は、下部組織への浸透、根拠地急襲、戦略村の設定などの対抗戦術をつくり、また対ゲリラ用の特別部隊を編成していることも多い。現在では民族解放闘争とゲリラ戦争が密接に結び付けられているため、正規軍による不正規の遊撃戦は、一般にコマンド作戦とよばれるようになっている。また、ゲリラ鎮圧のための正規軍のゲリラ型作戦は、対ゲリラ戦という名称でよばれる。
[山崎 馨]
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