朝日日本歴史人物事典 「サヴォリ」の解説
サヴォリ
生年:1794.7.31
江戸後期に小笠原諸島に初めて移住したアメリカ人。米国マサチューセッツ州ブラッドフォード生まれ。船員としてハワイにいたが,天保1(1830)年,イタリア人のM.マザロ,イギリス人のJ.ミルチャムプら白人5人,それにハワイのカナカ人男女20人余を伴い父島に上陸,初めての居住者となった。小笠原諸島は,文禄2(1593)年ごろ,信州深志(松本市)の城主小笠原貞頼が発見し,のち徳川家康が発見者の名をつけたと伝えられている(『小笠原島新誌』など)。享保15(1730)年ごろ,曾孫と称する小笠原貞任が渡島をこころみたが失敗,無人島のままにされていた。サヴォリらが定住するまで,米国や英国の捕鯨船などが上陸するだけで,ボニン・アイランズ(Bonin Islands,無人島の外国人なまり)と呼ばれていた。ペリーが浦賀に向かう途中に寄港した際(1853),サヴォリを首長に任命し,石炭貯蔵用地を購入,米国の国旗をたてた。そのペリーの『日本遠行記』(1856年刊)によれば,白人5人のうち島に留まったのはサヴォリだけで,彼はカナカ人を妻とし豚や家畜を飼い,当時盛んであった太平洋の捕鯨船に水などを与えて生活し,父島に31人,母島に12人が住んでいたという。この寄港から8年後の文久1(1861)年,江戸幕府は海防上の必要から,外国奉行水野忠徳らを咸臨丸で同島に送り込み,翌2年サヴォリらに小笠原が日本の属島であることを伝えた。ちなみに,このときの通訳は中浜万次郎だった。サヴォリ家はのち日本に帰化(瀬堀,セーボレー)し,今日までも続き,父島で暮らす。<参考文献>石井通則『小笠原諸島概史』,鶴見俊輔『高野長英』
(中川文男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報