佐賀の乱の首謀者。佐賀藩士。禄高300石。通称団右衛門,字は国華。楽斎,桜陰と号する。初め従兄枝吉神陽に学び,のち江戸に出て佐藤一斎に陽明学を学び,藤田東湖を知る。安政年間(1854-60)藩命により北海道,樺太を視察。1868年(明治1)藩の海軍軍監となり,戊辰戦争に大総督府軍監として東北鎮定に赴き,会計官,北海道開拓使判事,大学少監,侍従,秋田県令を歴任したが,政府と議合わず72年6月辞職。翌年帰郷して佐賀憂国党の首領に推され,74年1月〈恩賞不当,刑罰顚倒,奸臣専横〉の政治を改良せんとして,江藤新平の征韓党とともに兵を佐賀に挙げ,敗走して鹿児島で捕らえられ,佐賀で斬罪に処せられた。
→佐賀の乱
執筆者:後藤 靖
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…明治6年10月の政変(征韓論分裂)で,参議西郷隆盛らと下野し,また板垣退助らと民撰議院設立の建白書に名を連ねた江藤は,郷里の佐賀に帰った。佐賀の征韓党はこの江藤を首領とし,これまで拮抗していた憂国党(1873年,秋田県令をやめた島義勇を首領)と対政府行動を共にするに至った。74年2月1日,3000余人(のち1万1000余に達する)は小野商会を襲って行動を起こした。…
※「島義勇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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