小野梓(読み)オノアズサ

デジタル大辞泉 「小野梓」の意味・読み・例文・類語

おの‐あずさ〔をのあづさ〕【小野梓】

[1852~1886]政治家高知の生まれ。号、東洋自由主義を唱え、大隈重信を助けて立憲改進党指導者として活躍東京専門学校(のちの早稲田大学)の創立参画。著「国憲汎論」など。

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精選版 日本国語大辞典 「小野梓」の意味・読み・例文・類語

おの‐あずさ【小野梓】

  1. 政治家。政治学者。号、東洋。土佐藩出身。大隈重信を助けて立憲改進党の指導的立場に立ち、東京専門学校の創立にも加わる。著「国憲汎論」など。嘉永五~明治一九年(一八五二‐八六

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「小野梓」の意味・わかりやすい解説

小野梓
おのあずさ
(1852―1886)

明治前期の法学者、政治家。嘉永(かえい)5年2月20日土佐国幡多(はた)郡宿毛(すくも)村(高知県宿毛市)に生まれる。幼名一(てついち)、号は東洋。1869年(明治2)東京に出て昌平学校(しょうへいがっこう)に学び、1871年から3年間アメリカ、イギリス両国に留学。帰国後同志とともに文化啓蒙(けいもう)団体「共存同衆」を結成し、『共存雑誌』を発行、また、ローマ法を研究して「羅瑪(ローマ)律要」を纂訳(さんやく)した。1876年司法少丞(しょうじょう)に任ぜられ、以後司法省、太政官(だじょうかん)の書記官を歴任、1880年新設の会計検査院の検査官に就任して大隈重信(おおくましげのぶ)との関係を深め、翌年10月の「明治十四年の政変」で大隈とともに下野した。以後、大隈のもとで立憲改進党の結成、東京専門学校(後の早稲田(わせだ)大学)の創立に尽力するとともに、東洋館書店(冨山房(ふざんぼう)の前身)を開業して出版事業にも手を染めた。この間、大著『国憲汎論(こっけんはんろん)』をはじめとして、政治、法律、経済、教育などの各分野で旺盛(おうせい)な著作活動を展開。明治19年1月11日肺結核のため死去。

[大日方純夫]

『早稲田大学大学史編集所編『小野梓全集』全5巻(1978~1982・早稲田大学出版部)』『荻原隆著『天賦人権論と功利主義──小野梓の政治思想』(1995・新評論)』『勝田政治著『小野梓と自由民権』(2010・有志舎)』


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改訂新版 世界大百科事典 「小野梓」の意味・わかりやすい解説

小野梓 (おのあずさ)
生没年:1852-86(嘉永5-明治19)

明治時代の法学者,政治家。東洋と号す。土佐藩宿毛に生まれる。戊辰戦争では会津攻めに参加。1869年,昌平黌に学ぶ。70年上海旅行でアジアの近代化の必要を痛感,米英留学で法律学を学び帰国後共存同衆を結成,金子堅太郎,鳩山和夫らと自由主義,立憲思想の啓蒙につとめる一方,近代法の研究を行う。官途に就くが明治14年の政変で大隈重信に殉じて下野,東京大学の学生を中心とする鷗渡会を率いて立憲改進党に参加,大隈のブレーンとして活躍した。〈改進党趣意書〉は小野の起草による。82年東京専門学校(早稲田大学)創立にも中心的役割を果たす。83年東洋館書店(現,冨山房)の開設など活動の分野は広い。彼と大隈との関係は井上毅と伊藤博文の関係に比されるが,当時の英法派,仏法派,独法派の対抗関係の中で,《国憲汎論》に見られるようなベンサム流の代議政体論と独自の〈君民共治〉論の路線が,明治14年の政変から大日本帝国憲法発布にいたる過程で敗北していったことの意味は大きい。
執筆者:

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朝日日本歴史人物事典 「小野梓」の解説

小野梓

没年:明治19.1.11(1886)
生年:嘉永5.2.20(1852.3.10)
明治前期の政治思想家。号は東洋。土佐国幡多郡宿毛村(高知県宿毛市)に節吉,助野の次男として生まれる。明治2(1869)年上京して昌平黌に学ぶ。4年アメリカに私費留学し,6年には大蔵省官費留学生としてイギリスに渡った。7年帰国し,仲間と文化団体共存同衆を結成し,啓蒙活動に精力を注ぐ。8年『共存雑誌』を創刊し,同誌で活発な言論活動を展開した。9年以降,司法省少丞,太政官少書記官,会計検査院の検査官などを歴任,大隈重信の知遇を得るようになった。14年政変の発端となった国会の早期開設を求める大隈意見書と小野の「今政十宜」の内容が似ていることから,小野が意見書の執筆者ではないかという説もある。14年の政変で大隈が失脚すると,自らも依願免官となった。15年2月青年グループ鴎渡会を設立し,4月立憲改進党に参加,党の掌事に選ばれた。立憲改進党の趣意書を起草した小野は,以後大隈のブレーンとして活躍し,大隈を助けて東京専門学校(早稲田大学)の創立にも尽力した。16年私擬憲法「国憲私案」を起草,イギリス流の立憲君主制実現をめざした。同年東洋館書店(のちの冨山房)を開業し,出版業にも手を染めた。主な著書に自己の国会論や主権論を論じた『国憲汎論』や『東洋論策』などがある。立憲政治の実現をみることなく肺結核のため早世した。<著作>『小野梓全集』全5巻・別冊

(小宮一夫)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小野梓」の意味・わかりやすい解説

小野梓
おのあずさ

[生]嘉永5(1852).2.20. 高知
[没]1886.1.11. 東京
政治学者,政治家。号は東洋。昌平黌に学んだのち,欧米に留学。ベンサムの功利主義の影響を強く受け,帰国後赤松連城,尾崎三良らと『共存雑誌』を発刊,西洋思想の普及に努めた。 1876年官界に入り司法少丞,司法省少書記官,太政官少書記官,元老院書記官,会計検査官などを歴任したが,明治十四年の政変で下野。 82年大隈重信の立憲改進党の結党に尽力し,また同年東京専門学校 (現早稲田大学) の創立に参加した。 83年東洋館を開き,洋書取次ぎ,政治・経済書の出版を行うが,年若くして病死した。著書に『国憲汎論』『条約改正論』『民法之骨』など,また『小野梓全集』全5巻 (1978~82) がある。

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新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「小野梓」の解説

小野 梓
オノ アズサ


別名
号=東洋

生年月日
嘉永5年2月20日(1852年)

出生地
土佐・宿毛(現・高知県)

経歴
英米に留学。帰国後、共存同衆をつくり、「共存雑誌」を創刊、論説を発表。明治9年官史となるが14年の政変で下野、鷗渡会を創設したほか、大隈の立憲改進党結成、東京専門学校創立にも協力。わが国法学の草分けの一人で、近代法体系の形成に大きな影響を与えた。著書に「国憲汎論」のほか、「小野梓全集」(全2巻・冨山房)がある。

没年月日
明治19年1月11日

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百科事典マイペディア 「小野梓」の意味・わかりやすい解説

小野梓【おのあずさ】

明治の政治家,政治思想家。土佐藩出身。1871年―1874年米,英に留学。1874年馬場辰猪(ばばたつい)らと共存同衆を組織し自由主義を唱道する。大隈重信(おおくましげのぶ)を助け立憲改進党結成,東京専門学校(早大の前身)創立等に参画した。主著《国憲汎論》。
→関連項目馬場辰猪

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小野梓」の解説

小野梓 おの-あずさ

1852-1886 明治時代の法学者,政治家。
嘉永(かえい)5年2月20日生まれ。アメリカ,イギリスに留学。太政官(だじょうかん)少書記官などをへて,明治15年大隈重信の立憲改進党の結成に参加。東京専門学校(現早大),出版社東洋館(現冨山房(ふざんぼう))の創立につくした。明治19年1月11日死去。35歳。土佐(高知県)出身。号は東洋。著作に「国憲汎論(はんろん)」など。

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旺文社日本史事典 三訂版 「小野梓」の解説

小野梓
おのあずさ

1852〜86
明治前期の政治思想家
土佐藩出身。欧米留学後官吏となったが,のち大隈重信と交流を深め明治十四年の政変で大隈とともに下野。立憲改進党結成に参加し,さらに東京専門学校(現早稲田大学)の創立に尽力。政治学・法学の発展にも貢献した。

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367日誕生日大事典 「小野梓」の解説

小野 梓 (おの あずさ)

生年月日:1852年2月20日
明治時代の政治家;法学者。太政官少書記官
1886年没

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世界大百科事典(旧版)内の小野梓の言及

【改進党】より

…すでに大久保利通没後の政府筆頭参議の時代から,岩崎弥太郎の三菱と経済的きずなを結び福沢諭吉の慶応義塾を優秀な官僚の人材補給源として握っていた大隈は,党結成にあたってそれらの資産を十分に活用し,大隈とともに下野した官僚を幕下に収めた。彼らはいずれもイギリス流の立憲政治を目標にしており,なかでも矢野文雄(竜渓)は,14年政変の原因となった政党内閣論と早期国会開設とを説いた大隈意見書の起草者であり,小野梓は薩長打倒のため在官中から政党組織化を進めていた。そこで改進党の指導部は元官僚,新聞記者,代言人,教師など都市知識人のグループを中心に形成され,沼間守一,島田三郎らの嚶鳴社・東京横浜毎日新聞派,矢野ら慶応関係者の東洋議政会・郵便報知新聞派,小野らの鷗渡会派の3系統に大別される。…

【共存同衆】より

…明治初期のヨーロッパ留学帰朝者を中心とする,会員の切磋琢磨(せつさたくま)と国民啓蒙を目的とした結社。1874年9月,小野梓の提唱により発足した。共存同衆の名は小野の命名によるが,共存は社会を,同衆は協会を意味するとも,mutual associationの意ともいう。…

【坂本嘉治馬】より

冨山房の創業者。土佐宿毛町に生まれ,1883年に上京,小野梓(あずさ)が創業した東洋館に入店し,書籍の販売と出版について修業した。小野の病死により,東洋館が閉店した後,小野の遺志を受け継ぎ,86年,20歳のときに冨山房を創業した。…

※「小野梓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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