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小笠原諸島 おがさわらしょとう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

小笠原諸島
おがさわらしょとう

東京の南南東約 1000kmの太平洋上にある諸島。北緯 20°25′~27°40′,東経 136°04′~153°59′に位置する。海底から噴出した 30余の火山列島で,聟島列島父島列島母島列島硫黄列島のほか,南鳥島西之島沖ノ鳥島からなる。父島母島が主要島で,その他は 5km2以下の狭小な島。行政上は東京都小笠原支庁小笠原村に属する。地名は文禄2(1593)年信州深志の城主小笠原貞頼の発見という伝承による。文政13=天保1(1830)年アメリカ人やカナダ人が父島に来住。延宝3(1675)年と,文久1(1861)年に江戸幕府は『咸臨丸』で巡検司を派遣し,八丈島からも移住者を送ったが,同 3年には全員引き揚げた。1875年明治政府が調査し,1876年日本領として各国に通告し,1880年東京府に編入した。1886年小笠原島庁を設置し,その間在島の欧米人は全員日本に帰化した。第2次世界大戦後はアメリカ合衆国の管理下に置かれたが,1968年4月返還協定の調印によって日本に復帰し,東京都に帰属した。戦前は農業,特にサツマイモやサトウキビの栽培が盛んであったが,一時荒廃し,返還直後は島内消費の野菜や本土向けカボチャ,ジャガイモなどを生産。今日では観葉植物や熱帯果樹が栽培されている。カツオ,マグロなどの好漁場で,かつては捕鯨基地であった。1972年小笠原国立公園,小笠原海中公園地区(→海域公園地区)に指定。大陸と地続きになったことがなく,固有種が数多く生息する独特の生態系をもつことから,父島および母島の集落近郊,硫黄島,沖ノ鳥島,南鳥島を除く陸域と,海域公園地区を中心とする海域が 2011年世界遺産の自然遺産に登録された。

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知恵蔵の解説

小笠原諸島

小笠原諸島は、北緯20度25分~27度44分、東経136度4分~153度59分の広大な海域(総面積は約10536ヘクタール)に散在している、大小30余りの島々のこと。小笠原列島と硫黄島などの火山列島に区分され、北から聟島(むこじま)列島、父島列島、母島列島、火山(硫黄)列島、及び西之島、南鳥島、沖ノ鳥島の3つの孤立島からなっている。その中の沖ノ鳥島は日本の最南端、南鳥島は最東端に位置している。主島である父島は東京都心部から南に約1000キロメートルの距離があり、広さは約24平方キロメートルである。行政上は東京都に属し、小笠原村役場は父島にある。多くの島があるが、どの島にも空港が無く、東京の竹芝桟橋との間におおむね6日に1便運航している定期船のみが唯一の交通機関になる。
小笠原諸島は1593年に信州深志城主・小笠原長時の孫・小笠原貞頼に発見されたとの説があるが、定かではない。江戸時代の後期(1830年)には、人が定着したと言われている。その後、江戸幕府や明治政府の調査・開拓によって1876年に国際的に日本の領土として認められた。 
亜熱帯の気候を生かした果物や野菜の栽培が盛んで、第2次世界大戦が始まるまでは農業や漁業、捕鯨やサンゴ漁などを中心に栄えた。一時期は人口が7000人を超えたこともあったが、1944年には戦局の悪化により軍属など以外の一般島民の多くが内地に強制疎開させられた。敗戦を迎え、小笠原はアメリカの占領下に置かれ、68年に日本に返還されるまで島民の帰島は許されなかった。戦後は国の特別措置法のもと交通施設整備や産業振興・観光開発など様々な公共事業が推進された。
また、どの島も大陸と一度も陸続きになったことがないために、生物が独自の進化を遂げている。そのため、「東洋のガラパゴス」と呼ばれることがある。小笠原諸島の固有種にはメグロやクロアシアホウドリ、オオハマギキョウ、ヘラナレンなどがある。植物(維管束植物)の36%、昆虫類の28%、陸産貝類の94%が小笠原諸島だけに生息する固有種である。その中の1つカタツムリの一種であるカタマイマイ属は化石も含めて、現在生息している樹上性や地上性まで多種多様な種類が確認され、進化の過程を見ることができる。他にもオガサワラカミキリ属やヒメカタゾウムシ属なども進化の過程の研究対象になっている。
ユネスコの世界遺産委員会は2011年6月、独特の生態系や自然保護の取り組みを評価し、世界自然遺産への登録が決定した。

(金廻寿美子  ライター / 2011年)

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

小笠原諸島

東京湾から南へ約千キロ離れた30余りの亜熱帯の島々からなる。大陸と一度も陸続きにならず、独自の進化をとげた動植物の多さや保護の取り組みが評価され、2011年に世界自然遺産に登録された。植物の36%、昆虫類の28%、カタツムリなど陸にすむ貝類の94%が固有種。民間人が住むのは父島と母島のみで計約2500人。

(2013-12-02 朝日新聞 夕刊 1社会)

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デジタル大辞泉の解説

おがさわら‐しょとう〔をがさはらシヨタウ〕【小笠原諸島】

東京都のほぼ南南東の太平洋上にある諸島。聟島(むこじま)父島母島硫黄島の各列島と、西之島沖ノ鳥島南鳥島などの島々からなる。文禄2年(1593)小笠原貞頼の発見といわれ、明治9年(1876)明確に日本領となり、明治13年(1880)東京府に所属。第二次大戦後は米国の施政権下に置かれたが、昭和43年(1968)返還。動植物は固有種がきわめて多く、「東洋のガラパゴス」と称される。平成23年(2011)「小笠原諸島」の名で、聟島列島父島列島母島列島西之島北硫黄島南硫黄島とその周辺海域が世界遺産(自然遺産)に登録された。

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百科事典マイペディアの解説

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世界遺産詳解の解説

おがさわらしょとう【小笠原諸島】

2011年に登録された世界遺産(自然遺産)。日本の首都東京から南に約1000km、太平洋上に南北約400kmにわたって散在する30余りの島々。登録の対象となったのは、父島と母島の居住地を除いた区域、兄島、西島、南島、北硫黄島、南硫黄島、西之島、そして一部周辺海域など。最も大きな父島の面積は約24km2、人口は約2000人、行政上は東京都小笠原支庁小笠原村に属する。絶滅危惧種のオガサワラオオコウモリをはじめ195種の絶滅危惧種の鳥類を含む、多くの動物相の生息地。これらの島は大陸から広い海によって隔てられた状態にある海洋島で、適応放散により多くの生物が独自の進化を続け、東南・北東アジアに由来する植物種からなる植物群落など豊かな組み合わせが生まれて他の地域には見られない固有種となったが、種数は少なく、生物相も偏っている。小さな海洋島における生物の進化の過程を示す典型例とされており、特に移動力の弱い陸産貝類(カタツムリ)が顕著。106種の陸産貝類のうち、固有種は100種で94%に上る固有率。◇英名はOgasawara Islands

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世界大百科事典 第2版の解説

おがさわらしょとう【小笠原諸島】

伊豆諸島の南方,太平洋上にある聟島列島父島列島母島列島硫黄列島(火山列島),西之島南鳥島沖ノ鳥島の小島を含む島嶼(とうしよ)群。全域が東京都小笠原支庁小笠原村に属し,行政中心は父島の大村で,東京都小笠原支庁がおかれ,母島に出張所がある。面積106.1km2。聟島,父島,母島の3列島を合わせて小笠原群島と呼ぶこともあり,明治初年以来ボニン・アイランズBonin Islands(〈無人島〉の外国人なまり)とも呼ばれていた。

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大辞林 第三版の解説

おがさわらしょとう【小笠原諸島】

東京の南方、太平洋上に点在する島群。聟島むこじま・父島・母島・硫黄列島からなる。1593年小笠原貞頼の発見といわれる。第二次大戦後アメリカが統治。1968年(昭和43)に復帰。全域が東京都小笠原村。

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日本の地名がわかる事典の解説

〔東京都〕小笠原諸島(おがさわらしょとう)


伊豆(いず)諸島南方、太平洋上に浮かぶ島々の総称。聟島(むこじま)列島・父島(ちちじま)列島・母島(ははじま)列島からなる小笠原群島に加え、火山(かざん)列島(硫黄(いおう)列島)と西之(にしの)島・南鳥(みなみとり)島・沖ノ鳥(おきのとり)島など約30島からなる。全域が東京都小笠原村に属する。小笠原諸島の別称ボニン島は、無人島の転訛(てんか)といわれる。小笠原群島は海底火山が隆起し開析されたもので、平地に乏しい。南鳥島は日本最東端、沖ノ鳥島は日本最南端をなす。全体に亜熱帯性の海洋性気候を示すが、年間降水量は比較的少ない。外洋に孤立した島嶼(とうしょ)のため動植物の固有種が多く、メグロ・オガサワラスジゲンゴロウなど13種が天然記念物に指定されている。確かな記録の最初は、江戸時代前期の1670年(寛文(かんぶん)10)阿波(あわの)国のミカン船が母島に漂着し2ヵ月足らず後に帰還。5年後に幕府は本州の南東海上にあると推測されたこの巽(たつみ)無人島に調査船を派遣した。その後、「この島は1593年(文禄(ぶんろく)2)、先祖である戦国武将の小笠原貞頼(さだより)が発見した」と主張する者が現れ、町奉行が2度吟味したが否定され、以後、民間には小笠原島の名が広まる。長く無人島として放置されたが、19世紀前半にイギリスやロシア海軍の艦船が寄港し、さらに1830年には欧米系人やハワイ人・カナカ人が入植し、1853年(嘉永(かえい)6)にはペリー率いるアメリカ・東インド艦隊が父島に寄港し貯炭所を確保している。幕末にはイギリスやアメリカが領有権を主張する一幕もあったが、幕府は1861年(文久(ぶんきゅう)元)巡見使、翌年移民を派遣し、1876年(明治9)日本領に確定、東京府に属した。第二次大戦後、アメリカの施政権下におかれたが1968年(昭和43)日本に返還された。小笠原群島の大部分は小笠原国立公園に指定され、海水浴・ダイビングなど海洋レジャー基地として脚光を浴びる一方、固有種の動植物の保護が課題となっている。2011年(平成23)には世界遺産(自然遺産)に登録された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

小笠原諸島
おがさわらしょとう

東京のほぼ南南東、約1000~1250キロメートルの太平洋上に散在する島嶼(とうしょ)。別称ボニン諸島Bonin Islandsは無人(ぶにん)島の転訛(てんか)語。東京都小笠原支庁小笠原村に属する。北緯27度45分から24度14分の間にほぼ南北に並ぶ小笠原群島、火山列島(硫黄(いおう)列島)を中心に、西之島、さらに沖ノ鳥島(日本最南端)、南鳥島を含む島々の総称。面積は小笠原群島に属する聟島(むこじま)列島6.5平方キロメートル、父島列島39平方キロメートル、母島列島27.3平方キロメートルで、火山列島は31.5平方キロメートル、その他を加えて合計104.41平方キロメートル、このうち父島は最大で周囲52キロメートル、面積23.80平方キロメートルである。[菊池万雄]

自然

小笠原群島は、伊豆諸島の南南東、伊豆・小笠原海溝の西縁をなす小笠原海嶺(かいれい)の上にのる第三紀始新世に海底から噴出した30余の小島、岩礁からなる火山列島で、北から聟島列島、父島列島、母島列島と、父島の西方約130キロメートルにある孤島の西之島とからなっている。島は山がちで低平地に乏しく、高い海食崖(がい)に囲まれ、湾は多いが、良港には乏しい。小笠原群島の最高点は母島にある乳房山(ちぶさやま)の463メートル。わずかばかりの平地も主として島の山頂上や尾根にあることと、構成する岩石が透水性の大きい安山岩質集塊岩や溶岩、およびサンゴ石灰岩であるために農耕にはあまり適していない。
 気候は、亜熱帯海洋性で、冬の平均気温が17℃、夏の平均気温が27℃、年降水量は1600ミリメートル。大部分の島は森林に覆われており、ラテライト土壌(紅色土)が発達している。
 火山列島は硫黄列島ともよばれ、小笠原群島の南西約200キロメートルにある。地質構造上からは、小笠原群島よりも新しく第四紀に噴出した火山島で、その発見および領有の歴史も群島と相違している。また、沖ノ鳥島は楕円(だえん)形の環礁でほとんどが海面下にあり、南鳥島は正三角形の隆起サンゴ礁である。[菊池万雄]

動物相

一般に島の生物相は大陸と比べると貧弱で、島が大きく高いほどそこで繁殖する種類数は多く、大陸から遠く離れるほど種類数は少ない。そして、島の歴史が古いほど、その地域にしか分布していない特産の生物が多い。島の環境に適応したそれらの特産種は高密度で生息する。日本本土の生物相自体、中国大陸と比較すれば非常に貧弱で、伊豆諸島、小笠原諸島と大陸、本島から離れるほど貧弱の度を増す。一方、特産種は多くなる。
 小笠原諸島に自然分布していた動物は、哺乳(ほにゅう)類では、飛翔(ひしょう)力のあるオガサワラオオコウモリPterops pselaphonただ1種である。飛翔力のある鳥類は、陸鳥類16種が分布し、繁殖した。そのなかで、特産の属に分化したメグロApalopteron familiare、オガサワラマシコChaunoproctus ferreorostrisのほか特産種はオガサワラカラスバトColumba versicolor、オガサワラガビチョウTurdus terrestrisの4種である。しかしメグロを除く3種はすでに絶滅した。また、ハシブトゴイNycticorax caledonicus、マミジロクイナPoliolimnas cinereusのほか、ノスリ、ハヤブサ、ウグイスなど計9種で特産亜種が認められているが、このうち前2種は絶滅した。海鳥にとって小笠原諸島はかっこうの繁殖地で、アホウドリ類3種をはじめ、ミズナギドリ、ウミツバメ、アジサシ類など合計14種の繁殖記録がある。海鳥のうち、クロウミツバメOceanodroma matsudairaeは硫黄列島だけで繁殖する。アホウドリPhoebastria albatrusは羽毛採取のため乱獲され、小笠原諸島から姿を消した。陸生爬虫(はちゅう)類は、オガサワラトカゲAblepharus boutoniiと、絶滅したオガサワラヤモリGehyra variegata2種であるが、特産ではない。海産爬虫類は、アオウミガメChelonia mydasが砂地海岸に産卵する。両生類、淡水魚類は1種も分布しない。陸産貝類は104種のうち98種が特産種である。また、昆虫類は1400種ほど記録され、その約3分の1が特産種である。海産動物は多いが、十分に調査されておらず、陸生無脊椎(むせきつい)動物についてもまだよくわかっていない。
 このようにどの動物群をとっても小笠原諸島特産種が多く、小笠原諸島は生物進化の実験場ともいえる地域である。学術的価値が高いため、これらの生物の多くは天然記念物に指定され保護されている。しかし、島の環境に適応した特産の生物は、環境の変化に脆弱(ぜいじゃく)で、人間が島々を開発、改変するようになって、多くの種が絶滅した。また人間は、ヤギ、ヒキガエル、アフリカマイマイ、ティラピアなどさまざまな動物を小笠原諸島に持ち込んだ。それらは島で増殖し、生物相を変えている。[長谷川博]

植物相・植生

小笠原には在来の維管束植物(種子植物とシダ植物)が441種(固有率36.5%)あり、ガラパゴスの566種(固有率42.6%)に匹敵する。由来をみると、シマイスノキ、ムニンヒメツバキ、シマホルトノキなど東南アジアの照葉樹林の構成種(東南アジア要素)がもっとも多く、これにムニンフトモモ、ムニンビャクダンなど南方起源の植物(オセアニア要素)とナガバキブシ、チチジマキイチゴなど北方の日本本土の植物(日本本土要素)が混ざり合って独自の植物相を構成している。ブナ科のシイ・カシ類が不在であるのも特徴的である。
 小笠原を代表する森林のうち、湿性高木林は、比較的土壌の発達した立地に成立する樹高20メートルにおよぶ森林で、シマホルトノキ、ウドノキ、センダン、アカテツなどの巨木が樹冠を並べ、低木層にはモクタチバナが多い。オガサワラグワも重要な構成種であったが開拓初期の伐採で絶滅寸前に追いやられた。湿性高木林は、戦前にほとんどが畑に変えられてしまったので、現在は母島の桑ノ木山(くわのきやま)と石門(せきもん)にわずかに片鱗(へんりん)が見られるだけである。
 乾性低木林は、父島と兄島のやや乾燥した山地平坦面を中心に広がる樹高2~8メートルほどの低木林である。シマイスノキ、ムニンヒメツバキ、アデク、シマシャリンバイ、タコノキなどが主要な構成種となり、露出した岩盤の周辺では樹高0.5メートルほどの矮(わい)低木林になることもある。乾性低木林は小笠原の森林のなかでもっとも種多様性が高く、多くの固有種を含み(構成樹木の固有率は約70%)、構成種には稀産(きさん)種(日本版レッドデータブック記載種)となっているものも多い。また、トベラ属やムラサキシキブ属などでは生育環境に応じて、適応放散的に種分化した事例も見られる。
 もう一つ特筆すべき植生は、母島主稜線(りょうせん)部にある、湿度が高い雲霧帯的な環境にのみ成立するワダンノキ群落である。ワダンノキは小笠原固有属(1属1種)のキク科植物であり、草本の祖先が島内で木本に進化した事例(樹木化現象)とされる。
 以上のような自然林が破壊された跡地(第二次世界大戦前の畑地)には、戦後になってリュウキュウマツ(外来種)とムニンヒメツバキからなる広大な二次林が成立した。しかし、1980年代初めに本土から侵入したマツノザイセンチュウによる松枯れが発生し、マツ親木の大半が枯死した。
 小笠原ではリュウキュウマツのほかにも、アカギ、モクマオウ、ギンネムなどの外来種が広がって問題となっている。とくに東南アジア原産のアカギは、1983年(昭和58)の台風被害を契機に湿性高木林に一斉に侵入して在来種を駆逐しつつあるため、2002年(平成14)より駆除事業が行われている。[清水善和]

歴史

1593年(文禄2)信州松本の城主小笠原貞頼(さだより)が発見し、島名もそれに由来すると伝えられるが、貞頼という名の人物は小笠原家の系図に見当たらず、信憑(しんぴょう)性に乏しい。国家として領有目的でこの地域を実地踏査した最初は、1675年(延宝3)の第一次江戸幕府巡見使の派遣である。19世紀になって、太平洋の捕鯨が盛んになり、各国の捕鯨船が水を求めて寄島し、そのなかには住み着く者もあった。1827年(文政10)イギリスの軍艦ブロッサム号が来島してイギリス領を宣言、1853年(嘉永6)アメリカのペリーが寄港してハワイからの移民を首長に任命するなどで、イギリス、アメリカ両国間で島の領有権紛争があった。1861年(文久1)幕府も第二次巡見使を派遣し、翌年八丈島からの移民を送るなどして管理機関も置いたが、開拓も中絶し領有問題は解決しなかった。
 その後、1876年(明治9)関係諸外国の承認を得て、初めて明確に日本の領有に帰し、1880年東京府の所属となり、1886年には小笠原島庁が父島に設けられた。イギリス系、アメリカ系、カナカ人の住民は1882年までに全部日本に帰化している。第二次世界大戦後は、対日平和条約に基づきアメリカ政府が立法、司法、行政上の権限を行使したが、1968年(昭和43)6月、小笠原の日本復帰に伴い東京都小笠原支庁小笠原村に帰属した。その際、西之島、火山列島、沖ノ鳥島、南鳥島を含めて小笠原諸島とし、旧小笠原諸島は小笠原群島と称することになった。[菊池万雄]

産業

第二次世界大戦までもっとも重要な産業は水産業で、小笠原暖流の漁場に近く、父島の二見港には、内地からの漁船が集まり、マグロ、カツオ、クジラ漁とかつお節や、缶詰の加工が行われた。特殊なものとしては、サンゴ採取やアオウミガメ、タイマイの捕獲なども盛んであった。農業は土地狭小に加えて平地に乏しく、水利の便も悪かったが、亜熱帯の光と熱とに恵まれて、サトウキビの栽培と製糖業が盛んであった。返還後は糖価が下落したため、野菜や熱帯果実に転じ、内地ことに京浜地区の冬枯れ時に供給し、小笠原ものとして名声を博している。また、ここは亜熱帯気候の海洋島として、地形、地質、動物、植物など独特の優れた自然を維持しており、自然公園としてふさわしいものと高く評価され、1972年(昭和47)小笠原国立公園として指定された。交通は東京竹芝―父島二見港間に定期船が通じているのみであるが、観光地(海水浴や釣り)として注目されている。[菊池万雄]

世界遺産の登録

小笠原諸島は独自の生物相を呈することから、2011年(平成23)、ユネスコ(国連教育科学文化機関)により「小笠原諸島」として世界遺産の自然遺産に登録された(世界自然遺産)。[編集部]
『大熊良一著『歴史の語る小笠原島』(1966・小笠原協会) ▽犬飼基義・福本健著『小笠原――南海の孤島に生きる』(1969・日本放送出版協会) ▽津山尚・浅海重夫編『小笠原の自然』(1970・広川書店) ▽『小笠原諸島の概要』(1986・小笠原村) ▽小笠原自然環境研究会編『小笠原の自然』(1992・古今書院) ▽『小笠原支庁30年のあゆみ』(1998・小笠原支庁) ▽豊田武司編著『小笠原植物図譜』増補改訂版(2003・アボック社) ▽小笠原野生生物研究会著『小笠原の植物フィールドガイド2』(2008・風土社) ▽清水善和著『小笠原諸島に学ぶ進化論』(2010・技術評論社) ▽社団法人日本植物学会編『東京都の島の植物と生物多様性――伊豆諸島から小笠原まで』(2011)』

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