改訂新版 世界大百科事典 「シュワルツシルト」の意味・わかりやすい解説
シュワルツシルト
Karl Schwarzschild
生没年:1873-1916
ドイツの天文学者。フランクフルトに生まれる。若くして才能を表し,16歳で連星の軌道の論文を書く。ミュンヘン大学でH.vonゼーリガーの指導を受け,1901年ゲッティンゲン大学助教授,つづいて教授,09年ドイツでもっとも権威のあるポツダム天文台台長となる。この間,天体物理学の諸分野の基礎的研究に活躍。観測関係では,写真術を量的測光の手段として実用化するための研究,いわゆる相反則からの外れの定式化,3500余の星の測光カタログの作成,対物プリズムによる皆既日食の閃光スペクトルの写真測光から太陽外層の構造を解く積分方程式の取扱い,土地の緯度を測るための懸垂式天頂儀の創案,ハレーすい星の観測,星の視線速度を測定するための特殊な対物プリズムの創案など,理論関係では,星の吸収線形成の理論(いわゆるシュスター=シュワルツシルトの大気モデル),星の空間運動を3軸不等の速度楕円体で表現する理論,銀河系回転の理論,幾何光学におけるいわゆるアイコナル理論などがある。宇宙の理論については,彼は1900年ころから宇宙はユークリッド空間とは限らず,閉じた(楕円的),あるいは開いた(双曲線的)空間でありうるといっていたが,16年には一般相対性理論の応用として質点近傍の時空世界のひずみを表す線素,いわゆるシュワルツシルトの線素を得た。この線素は,重力場における光の屈折や時計の遅れ,惑星軌道の近日点の移動,ブラックホールの近傍における物質の態様などを論ずるときの基礎として今も広く用いられる。第1次世界大戦に志願して従軍し,気象部隊に配属され,気象学の論文をも著作した。16年ロシア戦線で発病し,軍籍を解かれて入院したがついに死去した。タウテンブルグの天文台は彼の名を冠して呼ばれる。またアメリカのプリンストン大学天文台台長のマーティンMartin Schwarzschildは彼の息子である。
執筆者:大沢 清輝
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報