ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ジャービル・サバーハ」の意味・わかりやすい解説
ジャービル・サバーハ
Jabir al-Ahmad al-Jabir al-Sabah
[没]2006.1.15. クウェート
クウェートの首長 (在位 1977~2006) 。 18世紀なかばからクウェートを支配してきたサバーハ家の一族で,アハマド首長 (在位 1921~50) の三男。クウェートで個人教育を受ける。クウェートの首長 (在位 1977~2006) 。 18世紀半ばからクウェートを支配してきたサバーハ家の一族で,アハマド首長 (在位 1921~50) の三男。宮殿や私立学校で個人教育を受けた。 1961年クウェート独立直後,クウェート全土への主権を要求するイラクとの紛争でクウェート代表として手腕を発揮,調停役のアラブ連盟は独立擁護を決定,同国のアラブ連盟加盟を認めた。 1963~65年財務大臣兼産業大臣,1965年首相,1966年皇太子に。 1977年 12月従兄のサバーハ首長 (在位 1965~77) の死去で首長に即位。石油収入の海外投資などに手腕を発揮。イラン革命やイラン=イラク戦争勃発後,反政府勢力が台頭,国民議会を解散して憲法の一部を停止した。 1990年8月,イラク軍がクウェート侵攻・制圧するとサウジアラビアに逃れ,亡命政府を樹立。アメリカを中心とする多国籍軍がクウェート奪回後の 1991年3月 14日に帰国した (→湾岸戦争 ) 。戦争で荒廃した国内の復興と民主化の課題に取り組み,1999年に女性に参政権を与える首長令を発令したが,議会で否決された。 2001年9月に脳出血で倒れた。
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