ジョージ王戦争(読み)じょーじおうせんそう(英語表記)King George's War

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ジョージ王戦争」の意味・わかりやすい解説

ジョージ王戦争
じょーじおうせんそう
King George's War

オーストリア継承戦争に伴って1744年に起こった、北アメリカにおけるイギリス・フランス植民地戦争。イギリスではジョージ2世の治世にあたったのでこの名でよばれる。1713~44年、両国アカディア、北部ニュー・イングランドオハイオでの境界問題で対立していたが、44年3月にイギリスが宣戦布告した。45年5月、ニュー・イングランド植民地軍がフランス領ケープ・ブレトン島のルイスバーグ占領、46年にはイギリスの七つの植民地がケベックモントリオールの同時攻略を企てたが、本国軍の援助が得られず中止となった。ニュー・イングランド、ニューヨーク境界周辺では、イギリス、フランス植民地両軍にそれぞれインディアンが同盟し、インディアン戦争として展開した。1748年10月、エクス・ラ・シャペル条約による占領地相互返還で戦争は終結したが、内陸の植民地境界問題はなんら解決をみなかった。

[白井洋子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ジョージ王戦争」の意味・わかりやすい解説

ジョージ王戦争
ジョージおうせんそう
King George's War

オーストリア継承戦争に際して,イギリス,フランス間に生じた北アメリカ植民地における戦争 (1744~48) 。 1739年のジェンキンズの耳戦争 (→ジェンキンズの耳事件 ) に続いて,イギリス植民地とフランス植民地の境界地帯で戦闘が行われ,イギリス海軍と連携したニューイングランド軍のカナダ侵攻,インディアンの諸民族と結んだフランス軍の反撃という経過をたどった。この戦争はイギリス王ジョージ2世の名にちなんで命名され,最大の戦闘はノバスコシアのルイスバーグの攻防で,イギリス軍がこれを攻略した。 48年エクス・ラ・シャペル (アーヘン) の和約でこの都市はフランスに返還された。しかし戦争末期,バージニアプランター (大農場主) ,土地投機業者たちの組織したオハイオ会社がオハイオ川流域に進出し,新たな紛争の種を残した。

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