改訂新版 世界大百科事典 「ジンバブウェ遺跡」の意味・わかりやすい解説
ジンバブウェ[遺跡]
Zimbabwe
アフリカ南部のジンバブウェ共和国にある巨大な石造建築の遺跡で,現地語で〈石の家〉の意。遺跡は三つの主要部分からなる。(1)〈アクロポリス〉と名づけられる,高さ120mの花コウ岩の丘の上にある建築群で,巨大な自然石のあいだを石壁やテラスでつないでいる。(2)〈神殿〉と呼ばれる,平地にある,長径100m,短径80mの楕円形の建築。壮大で塊量的な外壁と,内壁,円錐塔などからなる。(3)上記の二つの遺構のあいだにある,錯綜した石造の囲壁および住居跡で,〈谷の遺跡〉と呼ばれる。以上3種は,宮殿,神殿,要塞,住居,家畜小屋などの複合したものである。建設年代および建設者については,古くから激しい議論があり,古代東方人説とアフリカ人説とが対立していた。しかし1958年以後の考古学的および民族学的な調査・発掘によって,ショナ族Shonaとロズウィ族Rozwiが11~18世紀に建設したこと,また前期のモノモタパ期(モノモタパ王国)と後期のマンボMambo期に分けられることが判明した。
11世紀に牛を飼うショナ族が,石灰なしで不整形の石を積んで〈アクロポリス〉の石壁を築いた。その壁は高さに比して厚さは薄く,ほとんど垂直の面をもっている。土台はなく,地面の上にじかに建てられた。15世紀の中ごろに建築技術が変わる。すなわち,入念に整えられた煉瓦状の石材を用い,それを積み重ねる際,上にいくにしたがって各列を少しずつ後ろにずらす(その割合は10mの高さに対して1.3mの竪勾配)。また地面に水平な溝を掘って石材を積み重ねたため,石壁は整然とした外観を呈する。これらを築いたのはロズウィ族で,ジンバブウェの〈神殿〉のほか,カーミKhamiやドーロ・ドーロDhlo Dhloなどに高度な技術で多くの建造物をつくった。18世紀に建てられた〈神殿〉は,ロズウィ族の王マンボの宮殿で,また部族の聖なる物品が収められた。
ジンバブウェ遺跡からは8個の〈鳥神柱〉(約1.5mの石柱の頭部に鳥を彫刻したもの)のほか,多くの土器,陶磁器,金製品,ガラス製ビーズなどが出土している。土器は赤地に点と線を刻んだものと,無地の黒色土器がある。またイスラム陶器や中国の宋,元,明の青磁や染付の破片が大量に出土するが,これらはビーズとともに外国から輸入したものである。ジンバブウェ遺跡に類する石造建築の遺跡は,ジンバブウェ共和国各地やボツワナ共和国の東部に約300ヵ所あり,それらはジンバブウェ文化と呼ばれる。なお,遺跡名と国名を区別するため,前者を大ジンバブウェと称することがある。
執筆者:木村 重信
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報