ジークフリート線(読み)じーくふりーとせん(英語表記)Siegfriedlinie ドイツ語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ジークフリート線」の意味・わかりやすい解説

ジークフリート線
じーくふりーとせん
Siegfriedlinie ドイツ語
Siegfriedstellung ドイツ語

ドイツがつくった大要塞(ようさい)線。

(1)第一次世界大戦中ドイツ軍が西部戦線に構築した防御陣地。アラスからサン・カンタンを経てエーヌ川まで150キロメートルに及ぶ。1917年初めに構築され、翌18年の春季大攻勢の拠点となり、同年10月まで維持された。ジークフリートはドイツの伝説の英雄名。連合軍はこれをヒンデンブルク線Hindenburg lineとよんだ。

(2)第二次大戦前ヒトラーがフランスのマジノ線に対抗して構築した要塞陣地。アーヘンからバーゼルまで400キロメートルに達する。無数のトーチカや戦車壕(ごう)を配したが、1944年末~45年初め連合軍の優勢な空軍機動部隊により突破された。ヒトラーはこれを「西の城壁Westwallとよんだ。

[吉田輝夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ジークフリート線」の意味・わかりやすい解説

ジークフリート線
ジークフリートせん
Siegfried line

フランス,オランダとの国境に沿う,第2次世界大戦中のドイツの要塞線。 H.ゲーリング元帥の総指揮で,1938年5月から1年余の時日と約 600万tのセメントを使用して完成した。全長 600km,幅は平均 50km。コンクリートのトーチカ,砲座,対戦車障害物などから成り,地下交通路と豊富な弾薬糧食とにより難攻不落といわれたが,第2次世界大戦初期にはドイツ軍の西方攻勢のために要塞線を利用することはなく,また末期にはドイツ軍の急速な後退のためその真価を発揮できなかった。また第1次世界大戦中,フランス内にドイツ軍が構築した要塞線を連合軍はヒンデンブルク線,ドイツ側はジークフリート線と呼んだ。

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