マジノ線(読み)まじのせん(英語表記)Ligne Maginot フランス語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「マジノ線」の意味・わかりやすい解説

マジノ線
まじのせん
Ligne Maginot フランス語

1927~36年構築のフランス北東国境に沿った長大な要塞(ようさい)線。提案者の陸相マジノAndré Maginot(1877―1932)に名をとる。第一次世界大戦、とくにベルダン戦い教訓を得、主要機能を堅牢(けんろう)な地下室に集約し、地下連絡通路を完備した点に特徴をもつ。戦前のフランス国民にとって安全保障上の象徴的存在となっていた。しかし第二次世界大戦では、ドイツが軽装堡塁(ほるい)のみのベルギー国境から突入したこと、マジノ線重装部分への攻撃もザールブリュッケンの南で容易に突破されたことから、実際の役にはたたなかった。またこのような要塞が対戦車防御には有効でも、対空戦に力をもたないことも露呈した。

[柳田陽子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マジノ線」の意味・わかりやすい解説

マジノ線
マジノせん
Ligne Maginot

第2次世界大戦前に,A.マジノ国防相の提案に基づき,フランスがドイツに対して構築した大規模な近代的要塞線。 1927~36年の 10年の歳月をかけて造られた。地中海の仏伊国境を南端とし,スイス国境,仏独国境を経て,ベルギーとルクセンブルクとの三角点国境にまで及ぶ 322kmの長大なもので,フランスのドイツに対する防衛神話をつくりだしていたが,ベルギーとフランスの国境には構築していなかったので第2次世界大戦時,ドイツ機甲兵団の強襲を受けてもろくもくずれ去った。

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