スタビスキー事件(読み)スタビスキーじけん(英語表記)Affaire Stavisky フランス語

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スタビスキー事件」の意味・わかりやすい解説

スタビスキー事件
スタビスキーじけん
L'affaire Stavisky; Stavisky Affair

フランス第三共和政 (1870~1940) を危機に陥れた疑獄事件。世界恐慌の影響,隣国におけるナチスの政権獲得,政局の極度の不安定といった条件下のフランスで,1933年 12月末バイヨンヌ市立信用銀行が大量の偽造証券により破産,急進社会党の C.ショータン内閣の植民地相がそれに関与していることが暴露され,さらにこの犯罪の主犯と目された同銀行創設者 A.スタビスキーが政界や警察内部に保護者をもち,長期間の保釈を許されていることが報道された。 34年1月8日にスタビスキーの死体が発見されると,警察は自殺と発表したが,右翼勢力は閣僚や議員を含む政界有力者のスキャンダルを隠蔽する殺害事件として政府や議会制度の攻撃に乗出した。1月 27日内閣は総辞職,30日に É.ダラディエ内閣が成立したが,クロア・ド・フアクシオン・フランセーズなどの右翼団体はパリ街頭での示威行動を強め,2月6日に議会を包囲クーデターを企てた。計画は死者 15名を出して失敗したが,翌日内閣は倒れ,同月9日に右翼的な G.ドゥーメルグ挙国内閣が成立,ファシズムの危険が切迫した。左翼系の労働者は同日,パリで大規模なデモを展開,2月 12日には全国 24時間の反ファシズムゼネストが行われた。そしてその後の危機の深刻化人民戦線を生み出した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「スタビスキー事件」の意味・わかりやすい解説

スタビスキー事件
すたびすきーじけん
Affaire Stavisky フランス語

1930年代にフランスの第三共和政を揺さぶる政治的激動口火を切った詐欺事件。ロシア生まれのユダヤ系帰化人スタビスキーSerge Alexandre Stavisky(1886―1934)はパリの暗黒街に出没する詐欺常習犯であったが、1931年南フランスのバイヨンヌ市の公設質屋を舞台に不良債券を発行して巨利を得た。33年末に不正が発覚しスタビスキーは逃亡したが、翌年1月8日シャモニーの山荘で死体で発見された。事件はありふれた詐欺事件であったが、バイヨンヌ市長兼代議士ガラ、ショータン内閣の植民地相ダリミエら与党急進社会党の政治家が事件に巻き込まれていたこと、スタビスキーの死因を自殺とする警察発表への疑惑などにより、右翼の反政府宣伝に絶好口実を与え、一大疑獄事件にまで発展した。極右諸団体による連日の街頭デモにショータン内閣はついに総辞職したが、さらに次のダラディエ内閣の不手際も加わり、34年2月6日夜、死者十数名を出す右翼騒擾(そうじょう)事件を起こした。こうして事件は、30年代の経済不況と政治不安を背景に第三共和政を揺さぶるいくつかの事件の連鎖を生んだ。

[平瀬徹也]

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