物質内での究極の磁石ともいうべき電子スピンを用いたエレクトロニクス(電子技術)。スピン・エレクトロニクスともマグネトエレクトロニクスともよぶ。従来の荷電粒子に加え、電子スピンのもつスピン(自転)が時計回り(アップスピン)と反時計回り(ダウンスピン)の二つの状態をとる分極性を積極的に利用する技術で、GMR(Giant Magneto Resistive、巨大磁気抵抗)素子とMRAM(エムラム)(Magnetoresistive Random Access Memory、磁気読み書きメモリー)は製品化され、電子スピントランジスタは開発中である。
GMR効果を利用した磁気ヘッドは、従来の磁気抵抗ヘッドの性能を桁(けた)はずれに向上させ、高記録密度ハードディスクを可能にした。磁気抵抗とは、磁界を加えると電気抵抗が変化する現象で、1883年イギリスのケルビン卿(きょう)(ウィリアム・トムソンWilliam Thomson)が発見した。1988年に発明されたGMR素子は、従来のバルクにかわる厚さ数ナノメートルの非磁性層を磁性層で挟んだ構造で、極微細構造によりもたらされる量子効果を利用する。伝導電子のスピンは界面で磁界の影響を受け、非磁性層を挟む磁性層の磁界が平行ならば素子の電気抵抗を小さく、反平行ならば大きくなるよう変化させる。発明者のフランス・パリ南大学教授アルベール・フェールとドイツ・ユーリヒ固体物理研究所の教授ペーター・グリュンベルクは、2007年のノーベル物理学賞を受賞した。
電子スピンを利用したデバイスとしてTMR(Tunnel Magneto Resistance、トンネル磁気抵抗)素子が、1995年東北大学の教授宮崎照宣(てるのぶ)(1943― )とマサチューセッツ工科大学の教授ムーデラJagadeesh Mooderaによって各独自に発明された。きわめて薄い絶縁体を強磁性体で挟み込んだもので、対向する強磁性体の磁化方向が平行のときに比べ反平行になると絶縁層のトンネル電流が小さくなる現象を利用する。メモリー素子では、情報の書き込みは強磁性体の磁化の方向を反転させ、読み出しは素子の抵抗値で検知する。エネルギーの消費なしで記憶が保持できるので、マトリックス状に配置してMRAMを構成する。MRAMは不揮発性・高速動作に優れた理想的なメモリーとされるが、現在のところ、素子側面に発生する反磁界などの制約のため16メガ(百万)ビットまでが製品化されている。
アメリカ・パーデュア大学のダタS. DattaとダスB. A. Dasは、1990年に「ソース電極」から「ドレイン電極」への電子スピンをゲート電圧で回転させて電子の移動を制御する電界効果トランジスタ(FET=Field Effect Transistor)を提案したがまだ実現されていない。似た考え方に基づいた種々な半導体電子スピントランジスタが、高集積化が困難な金属系電子スピン素子にかわる素子として、開発されてはいるが、いずれもきわめて低い温度でしか動作していない。このため材料の開発による室温動作素子への研究が進められている。
電子スピンは、1896年のゼーマン効果、1922年の銀原子が磁界中を通過するとき上下に分かれるというシュテルン・ゲルラハ効果により推測され、1927年にW・パウリにより公式化されたものである。この情報の担い手によるスピントロニクスには、情報の爆発と半導体集積回路にも限界がささやかれる今日、期待が大きい。
[岩田倫典]
『十倉好紀編著、田中一宣監修『ナノテクノロジーの最前線 アトムテクノロジーへの挑戦(2) 電子スピンを見る操る』(2002・日経BP社)』▽『宮崎照宣著『スピントロニクス――次世代メモリMRAMの基礎』(2004・日刊工業新聞社)』▽『榊裕之監修、財団法人丸文研究交流財団選考委員会編『科学立国日本を築く――極限に挑む気鋭の研究者たち』(2006・日刊工業新聞社)』
(荒川泰彦 東京大学教授 / 桜井貴康 東京大学教授 / 2007年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新