物性測定のための磁気共鳴吸収法の一種で,ESRと略称する。電子常磁性共鳴と同義に使われる。直接的な測定対象は,電子スピンの磁気モーメントであるが,その挙動を通じて,不対電子をもつ原子,分子,および固体の電子状態に関する知見を得ることができる。1945年ソ連のザボイスキーEvgenii Konstantinovich Zavoiskii(1907-76)により装置が試作されて以来,物理方面では無機物質の物性研究に,また化学方面では有機化合物の遊離基の研究に使われ,固体物理,錯体化学,有機電子論,放射線化学,光化学,電気化学などの発展に寄与した。60年代からは,物性物理や化学の各分野に加え,生物系への応用も試みられ,分子生物学や生物物理学の新たな一分野を開いた。現在では,学問的応用分野のほかに,資源探査や食品管理など実用的応用分野での利用も広がっている。
ESRの特色は次のようである。(1)高感度である。シグナル幅が10⁻4Tの場合,最高2×1010スピン/サンプル(通常0.5ml程度)の感度に達する。(2)電子常磁性中心に対してのみ活性である。不対電子を有する遷移金属イオンやラジカルあるいは多重項状態のほかに,捕捉電子や〈孤立した伝導電子〉など,いわゆる孤立状態にある電子に対してのみ感度をもつため,そのような特異な物質やサイトを,他の物質に阻害されることなく測定できる。(3)スペクトルには電子状態のほかにミクロな動的状態に関する情報も豊富に含まれている。磁気双極子の立体的な配向性や,その乱れ,あるいは分子運動やミクロブラウン運動に伴う配向性の動的変化を反映して,シグナルの形が大きく変化するため,スペクトルの線形から常磁性中心の動的状態も解析できる。
古典論のモデルを手掛りにしてESRの原理を説明する。物質内部には,電子や核子の運動に基づくさまざまな小磁石(磁気双極子)が存在している。一般に荷電粒子が円運動を行うと磁場が発生する。その強さは原子核の周りを回る電子(電荷-e)の軌道運動(半径r,速度v)の場合,アンペールの法則により磁気モーメントμ=evr/2cの磁気双極子がつくる磁場に等しい(cは光速度)。電子のスピン(古典論では自転)も,電子分布の広がりを考慮すると,自転運動により磁気モーメントをもつことを理解できる。また原子核もそれを構成する核子の軌道運動とスピンによる磁気モーメントをもつ。このような磁気双極子を磁場Hの中に置くと,磁気双極子は外部磁場との相互作用の強さに応じて安定化され,エネルギー状態E=-μHcosθをとる(θは外部磁場と磁気双極子とがつくる角度で,エネルギー状態の基準を相互作用0の状態にとる)。ところで軌道運動の角運動量Jの大きさはmvrで,電子の場合方向はμと逆向きであるから,μ=-(e/2mc)Jと書ける。Jの比例係数に相当する量を磁気回転比γと呼ぶ。粒子の性質の違いはγに含まれている。ところで,量子論によれば,電子の軌道角運動量とスピン角運動量の大きさは,それぞれ,であって,そのz方向の成分の大きさはmħ,msħである(mは-l≦m≦lの整数,ms=1/2,-1/2)。そこでγħ≡β(ボーア磁子)とおき,量子論による磁気モーメントをμ=-gβm(ないし-gβms)で表すと,古典論からの補正定数g(g因子という)は,軌道運動の場合1(古典論と一致),スピンでは2.002319となる。いま電子スピンに基づく磁気双極子が磁場Hの中に置かれているとしよう。この外部磁場の方向をz方向ととると,z方向のスピン角運動量msħがつくる磁気モーメントμ=-gβmsのエネルギー状態は,ms=-1/2および1/2に対応し,E=-(1/2)gβHと(1/2)gβHの二つの値をとる(ゼーマン効果)。この値は外部磁場Hの強さに比例して大きくなる。そこで一定振動数νの電磁波を印加しHを変えていくと,電磁波のエネルギーhνに相当するエネルギー幅hν=⊿E=gβHとなる磁揚で電磁波が吸収され,スピン状態がms=-1/2から1/2に変わる。この現象を電子スピン共鳴という。ESRでは,通常9.5 GHz帯(Xバンド)のマイクロ波を用い,磁場を変化させ,マイクロ波の共鳴吸収(自由電子の場合0.33T付近で起こる)を観測する(図1)。
ESRスペクトルは,(1)吸収線の中心位置,(2)線幅,(3)強度,(4)吸収線の構造によって特徴づけられる。吸収線の中心位置は,電子の量子力学的状態を反映している。ESRでは電子の状態の違いによる共鳴条件のずれを,g因子におし込めて表現する。共鳴の中心位置に相当するg因子の値を,スペクトルのg値という。さて線幅,強度,構造が線形の三つの要素である。このうち吸収線の構造が最も重要である。物質内部には種々の〈小磁石〉が存在していることをすでに述べた。電子スピンからみると,これらの小磁石は外部磁場に変動を付与する要因となる。つまり小磁石との相互作用の大きさだけ電子スピンの共鳴条件がずれる。電子スピンの濃度を10⁻3~10⁻5mol/l 程度以下に希釈すると,他の電子スピンからの影響は無視できる。その場合重要となる相互作用は,電子スピンと核スピンとの相互作用(超微細相互作用),およびスピン多重系における電子スピンどうしの相互作用(微細相互作用)である。超微細相互作用には,異方的な双極子双極子相互作用(そのハミルトニアンSI=-(geβegnβn/r3){I・S-3(I・r)(S・r)/r2})と,等方的な接触相互作用(F=-(8/3)πgeβegnβn|Ψ(0)|2I・S)がある。ブラウン運動による回転緩和が速い気体や溶液中では,等方的な相互作用のみが生き残り,原子核上の電子スピン密度|Ψ(0)|2に比例した分裂幅と,核スピン量子数Iにより決まる状態間の許容遷移の数に相当する本数からなる超微細構造を生ずる(図2)。単結晶では外部磁場に対し分子軸を回転すると,g値とA値(超微細構造の分裂幅で,超微細結合定数)の異方性が現れる。微結晶ないしガラス状固体では,空間的な平均化のためgの主値付近の構造のみが生き残る(図3)。また微細相互作用(SS=(ge2βe2/r3){S・S-3(S・r)2/r2})は,電子スピン多重項状態にある常磁性塩や有機化合物で現れ,超微細構造に比し分裂幅と異方性のともに大きいスペクトル(微細構造)を与える。
マイクロ波検波素子のSN比は信号周波数の逆数に比例する。電磁石の磁場掃引速度を上げることは困難であるから,感度向上のためには変調磁場(100kHz,最大0.03T程度)を重畳して,信号周波数を高める必要がある。共鳴吸収によるマイクロ波強度の変動は,磁場変調され,ダイオードで検出された後,増幅・位相検波される。したがってESRスペクトルは吸収線の一次微分の形で得られる。サンプルは,マイクロ波平衡立体回路の一端に位置する空心箱(キャビティ)中に設定する。キャビティの共鳴モードの違いにより,サンプルの好ましい形状は異なるが,通常細管ないし扁平セルが使用される。マイクロ波吸収の大きい媒質を用いるときは,その程度に応じて試料管の管径を変える(水溶液では直径0.7mm,無極性溶媒では直径4~5mm)。温度可変装置(-170~250℃),低温用および極低温用デュワー(77K,4.2K),高速磁場掃引装置(約0.1T/ms)などのアダプターが用意されている。電子核二重共鳴ENDOR,スピンラベル,スピントラップ,飽和移動などの研究方法も開発され,ESRの手法と適応分野は多様化している。
執筆者:平澤 泠
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
電子スピンによる磁気共鳴のこと。1945年にソ連のザボイスキーEvgeny Konstantinovich Zavoisky(1907―1976)によって初めて行われた。スピンsの電子(磁気モーメントμ)を磁界Hの中に置いて次の条件を満たす周波数νの電磁波を加えると磁気共鳴がおこる。
ν=(μ/sh)H (hはプランク定数)
νは1万ガウスの磁界中では28ギガヘルツ、すなわち波長1.07センチメートルのマイクロ波となるが、1980年以降は10万ガウス以上の磁界も用いられるので遠赤外光まで及んでいる。固体などでは熱平衡になっている系の共鳴による電磁波の吸収をエレクトロニクス的に観測する方法がとられる。物質中に存在する電子スピンとしては、磁性イオンや分子の自由基に類するものなどがあるが、いずれも周囲の結晶電界の影響を大きく受けることが多い。また、常磁性結晶のような磁性化合物においては、それに加えて磁性イオン間の相互作用が大きい。したがって、磁気共鳴の様相は複雑になるが、その解析から磁性イオンのふるまいが明らかにされ、結晶などの磁性そのものの解明に大いに役だっている。さらに常磁性物質は、相互作用の大きさで決まる一定温度以下で、強磁性、反強磁性などに転移するが、それらについても磁気共鳴の研究が行われている。また、化学、生物学的研究にも広く利用されている。
[伊藤順吉]
『伊達宗行著『新物理学シリーズ20 電子スピン共鳴』(1978・培風館)』▽『大矢博昭・山内淳著『電子スピン共鳴――素材のミクロキャラクタリゼーション』(1989・講談社)』▽『池谷元伺・三木俊克著『ESR顕微鏡――電子スピン共鳴応用計測の新たな展開』(1992・シュプリンガー・フェアラーク東京)』
電子のスピン共鳴.略号ESR.一定の静磁場中におかれたスピンの歳差運動は,そのラーモア周波数と同じ周波数の電磁波に共鳴し,そのとき,スピン系は電磁波のエネルギーを吸収する.電子スピン共鳴は物質の磁性によって,常磁性共鳴,強磁性共鳴,反強磁性共鳴などに分類される.1テスラ(T)程度の外部磁場では,前二者はマイクロ波の領域で起こるが,反強磁性共鳴では内部磁場が共鳴周波数に関係するため,サブミリ波あるいは赤外領域になる場合もある.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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