スプリト(その他表記)Split

デジタル大辞泉 「スプリト」の意味・読み・例文・類語

スプリト(Split)

クロアチア南部のアドリア海に面した町。ローマ皇帝ディオクレチアヌス宮殿造営し、退位後に余生を過ごした。西ローマ帝国崩壊後に廃墟となった宮殿の跡に、7世紀頃から人が住みつき、町が建設された。9世紀にはロマネスク様式の聖ドムニウス大聖堂も造られた。20世紀の内戦によって多くの歴史的建造物が破壊されたが、現在修復が進んでいる。1979年に「スプリトの史跡群とディオクレチアヌス宮殿」として世界遺産文化遺産)に登録された。スプリット

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改訂新版 世界大百科事典 「スプリト」の意味・わかりやすい解説

スプリト
Split

クロアチア南部,アドリア海にのぞむダルマツィア地方最大の港町。イタリア名スパラトSpalato。人口17万5140(2001)。この近郊で生まれたローマ皇帝ディオクレティアヌスは晩年を過ごすべく宮殿を造営(295-305),これが町の起源となる。東西215m,南北180m弱の3万8000m2を占める長方形の広大な敷地は,厚さ2m,高さ20m以上の城壁に囲まれ,東西南北に銀,鉄,銅,金の4門をもつ。7世紀初めアバール人とスラブ人が近くのソリンサロナエ)を破壊,住民がここへ避難して住みつき,しだいに発展した。8世紀末にはカトリックの大司教座が置かれている。11世紀初めハンガリーの下に入り,1420-1797年はベネチア,その後はフランス支配時代(1806-12)を除きオーストリアに属する。1888年に鉄道で内陸部と結ばれ,港も近代化されて繁栄,1918年ユーゴスラビアに所属した。第2次大戦前は同国最大の軍港,貿易港として重きをなし,多くの領事館もあった。

 現在はリエカに次いで第2位の貿易港で,造船所,港湾建設会社のほか,プラスチック・石綿・麵類・セメント工場などで町は活況を呈する。放送局,単科大学(化学技術,電気工学,法律),博物館(歴史考古学,人民革命),海洋研究所,オペラ劇場,古文書館がある。バルカンミケランジェロと称されたメシュトロビッチの彫刻200点を展示する美術館は糸杉の丘陵に立つ。同じ彼の手になるルネサンス時代の詩人マルリッチ(1450-1524)像は町の中に,10世紀の愛国的な司教グルグル・ニンスキの巨像は金門のそばに立つ。旧市街そのものが生きた博物館といえるが,特に皇帝の霊廟だった聖堂,ロマネスク様式の鐘楼,ユピテル神殿だった洗礼堂,前15世紀エジプトで造られたといわれる二つのスフィンクスが目につく。見晴らしのよいマリヤン公園やシュロの立ち並ぶ海岸通りには観光客が絶えない。近くに飛行場があり,ブラチュ島やフバル島へは定期便も出ている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「スプリト」の意味・わかりやすい解説

スプリト
すぷりと
Split

クロアチア共和国南西部の都市。ダルマチア地方中部海岸の小半島先端部に位置し、アドリア海に臨む。イタリア語名スパラトSpalato。人口18万8694(2001)。住民の大部分はクロアチア人とセルビア人。北方のイタリア国境に近いリエカ(イタリア名フィウメ)に次ぐクロアチア第二の港をもち、後背地と鉄道、道路、空路で結ばれ、アドリア海観光の中心地ともなっている。おもにセメントを港から輸出する。ほかに造船、プラスチック、織物、機械などの工業があり、近郊を含む工業地帯を形成している。海洋研究所、スプリト大学、考古学博物館、イワン・メシュトロビッチ美術館など、教育・文化施設も多い。

 紀元前にローマの植民地として建設され、3世紀末にローマ皇帝ディオクレティアヌスが宮殿を築き、廟(びょう)や城壁とともにその一部が現存する。ゴート人、フン人、トルコのアッバース朝によって町は破壊された。1420~1797年にベネチアの支配を受け、またその後、一時フランスの支配を含むが1918年までオーストリアの支配下に置かれた。1918年よりユーゴスラビア王国領となるが、第二次世界大戦中はイタリアが領有した。戦後はユーゴスラビア社会主義連邦共和国に属したが、91年独立したクロアチア領となった。

[漆原和子]


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百科事典マイペディア 「スプリト」の意味・わかりやすい解説

スプリト

クロアチアのアドリア海岸の港市。イタリア名はスパラトSpalato。同国第2の貿易港。造船・化学・缶詰・セメント工業が行われ,観光・保養地ともなっている。ローマ時代のディオクレティアヌス宮殿の遺跡,中世やルネサンス時代の美しい建造物があり,1979年世界文化遺産に登録された。第2次大戦前はユーゴスラビア最大の軍港・貿易港であった。16万7121人(2011)。
→関連項目ダルマツィア

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世界大百科事典(旧版)内のスプリトの言及

【ピアッツァ・アルメリーナ】より

…別荘はビラ・ロマーナ・ディ・カサーレVilla Romana di Casaleと呼ばれ,モンテ・マンゴーネの斜面に複雑な建築プランをもって広がっている。ほぼ同時代のスプリト(ユーゴスラビア)にあるディオクレティアヌスの宮殿の整然たるプランと対照を成し,ローマ帝政末期の建築遺構として重要であるが,約3500m2に及ぶ舗床モザイクはより大きな重要性をもつ。主題によって,装飾モティーフ,神話,狩猟の3グループに分類しうるこのモザイクは,3世紀末から4世紀に制作された。…

※「スプリト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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