セリエ(読み)せりえ(英語表記)Hans Selye

日本大百科全書(ニッポニカ) 「セリエ」の意味・わかりやすい解説

セリエ
せりえ
Hans Selye
(1907―1982)

カナダの内分泌学者。オーストリア生まれで、プラハのドイツ大学出身の医師である。若くしてアメリカに渡り、ジョンズ・ホプキンズ大学で研究生活に入り、のちカナダのマックギル大学に移り、1936年ストレス学説を発表した。1945年モントリオール大学の実験医学、外科学の教授となり、多くの医学賞を受けた。

 セリエの学説では、生体が細菌感染、薬物中毒外傷火傷寒冷、精神緊張など、物理的、心理的な非特異刺激に当面したとき、その刺激に無関係な一連の個体防衛反応が現れることをストレスと称し、ストレスの原因をストレッサーとよんだ。ストレッサーは下垂体前葉→副腎皮質の内分泌系によって、ストレス反応を演じる。この反応は、生体が環境に適応するための現象で、汎(はん)適応症候群と名づけられ、警告反応、抵抗期、疲労困憊(こんぱい)期の3段階で進行する。この反応が過度になると、ストレス潰瘍(かいよう)のような病的状態になる。

古川 明]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「セリエ」の意味・わかりやすい解説

セリエ
Selye, Hans

[生]1907.1.26. オーストリア=ハンガリー帝国,ウィーン
[没]1982.10.16. カナダ,モントリオール
オーストリア生まれのカナダの内分泌学者。フルネーム Hans Hugo Bruno Selye。ストレス理論の提唱者。パリ大学およびローマ大学で医学を学び,1929年,チェコスロバキアのプラハにあるドイツ大学で医師資格を得た。1931年ロックフェラー研究員としてアメリカ合衆国に渡り,ジョンズ・ホプキンズ大学に入り,翌 1932年カナダのマギル大学に転じた。1945~76年,モントリオール大学の教授兼実験医学研究所所長,1976年から国際ストレス研究所所長となる。1936年に生体が外傷,中毒,寒冷,感染症などの非特異的刺激(ストレッサー)を受けると,その刺激の種類に関係なく,下垂体前葉,副腎系を中心とした反応が起こるというストレス理論を提唱した(→汎適応症候群)。著作は 1200をこえるが,一般向け著書としては『現代生活とストレス』The Stress of Lifeがある。

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