日本労働組合総同盟(読み)ニホンロウドウクミアイソウドウメイ

デジタル大辞泉 「日本労働組合総同盟」の意味・読み・例文・類語

にほん‐ろうどうくみあいそうどうめい〔‐ラウドウくみあひソウドウメイ〕【日本労働組合総同盟】

総同盟の正式名称。

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精選版 日本国語大辞典 「日本労働組合総同盟」の意味・読み・例文・類語

にほんろうどうくみあい‐そうどうめいニホンラウドウくみあひ‥【日本労働組合総同盟】

  1. 産別会議とともに、第二次世界大戦後発足した労働組合の二大全国組織。昭和二一年(一九四六)八月創立。翌二二年の二・一ゼネスト後、産別会議と対立して全労連脱退、民同と反共労働戦線を結集。全労会議同盟会議などへの加盟を経て、同三九年全労全官公とともに全日本労働総同盟結成。総同盟

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「日本労働組合総同盟」の意味・わかりやすい解説

日本労働組合総同盟
にほんろうどうくみあいそうどうめい

略称総同盟。1946年(昭和21)8月1日、第二次世界大戦前の日本労働組合全国協議会(全協)系を除く右派から合法左派に至る各派の労働組合が大同団結して、1699組合、85万5355人で結成された全国中央組織(ナショナル・センター)。45年10月東京に集まった旧日本労働総同盟(総同盟)、全国労働組合同盟(全労)、日本労働組合全国評議会(全評)、東京市従業員組合(東京市従)などの元幹部が、労働組合再建懇談会を通じて組織結成中央準備委員会を結成、1912年(大正1)友愛会が創立された月日にあわせて結成大会が開かれた。戦後の組合勢力を二分した全日本産業別労働組合会議(産別会議)より劣勢であったが、産別会議とともに47年3月結成した全国労働組合連絡協議会(全労連)から翌48年6月には脱退、産別民主化同盟(産別民同)の運動を支援して、徐々にその勢力を逆転させた。

 1950年日本労働組合総評議会総評)の結成に参加し、左派は総評への解消を主張したのに対し、右派は刷新強化を固守し、同年11月の第5回全国大会で分裂した。左派は同年3月解散大会を行ったが、右派は6月再建第6回大会を開いて公称30万人で総同盟を引き継いだ。54年の日本炭鉱労働組合(炭労)と日本電気産業労働組合(電産)のストライキ指導を批判して総評を脱退した全日本海員組合(海員)、全国繊維産業労働組合同盟(全繊同盟。現ゼンセン同盟)など四組合とともに全日本労働組合会議(全労会議)を結成した。しかし、全労会議は、総同盟が従来の組織のままで参加したので、二重に全国中央組織をもつことになり、62年4月暫定的に総同盟と総同盟を除く全労会議とが加盟する全日本労働総同盟組合会議(同盟会議)を結成、その後組織の統合・整理を進め、64年11月全日本労働総同盟(同盟)が結成された。

[松尾 洋]

『総同盟五十年史刊行委員会編・刊『総同盟五十年史 第三巻』(1968)』

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百科事典マイペディア 「日本労働組合総同盟」の意味・わかりやすい解説

日本労働組合総同盟【にほんろうどうくみあいそうどうめい】

略称は総同盟。1946年戦前の日本労働総同盟の後身として右派・中間派・合法左派の労働組合(組合員85万)が結成。経済復興を先決として労使協調的態度をとり,左派の産別会議と対立。1950年総評(日本労働組合総評議会)の結成に参加。1951年左派主導で組織を解消したが,右派は総同盟を再建。1954年全繊同盟(ゼンセン同盟),全日本海員組合などとともに全労会議を結成,右派組合の中心となった。1962年全労会議を脱退し全日本労働総同盟組合会議の結成に参加,1964年全労会議と合体・解散し,全日本労働総同盟を結成。
→関連項目全労連二・一スト日本鉄鋼産業労働組合連合会

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「日本労働組合総同盟」の意味・わかりやすい解説

日本労働組合総同盟
にほんろうどうくみあいそうどうめい

略称,総同盟。第2次世界大戦前の日本労働総同盟 (総同盟) ,日本労働組合全国評議会 (全評) などの指導者により 1946年8月に発足,全日本産業別労働組合会議 (産別会議) と並ぶ2大中央組織として活動した。 50年日本労働組合総評議会 (総評) への加盟方式をめぐって分裂,左派は総評に発展的に解消したのに対し,右派は組織を維持,54年総評脱退の組合を中心に結成された全日本労働組合会議 (全労) に参加し,さらに 62年再組織された全日本労働総同盟組合会議 (同盟会議) に全労,全日本官公職労働組合協議会 (全官公) とともに統合されて,64年全日本労働総同盟 (同盟) 結成で発展的に解消した。当時の組合員は約 48万名。

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旺文社日本史事典 三訂版 「日本労働組合総同盟」の解説

日本労働組合総同盟
にほんろうどうくみあいそうどうめい

1946年8月,戦前の友愛会および日本労働総同盟系を中心に結成された労働組合の全国組織
略称「総同盟」。第二次世界大戦の敗戦直後,単一の労組連合会を組織しようとしたが,共産党の全日本産業別労働組合会議(産別会議)に対して先手をうって結成。会長は松岡駒吉,組合員86万人。1950年高野実の総主事就任とともに,左派が日本労働組合総評議会(総評)結成へと動いたので,右派の大阪・埼玉の府県連合会などが中心となって ‘51年再建。'54年全日本労働組合会議(全労会議)に加盟し,さらに ‘64年全日本労働総同盟(同盟)を結成,'87年解散し,日本労働組合総連合(連合)に発展。

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改訂新版 世界大百科事典 「日本労働組合総同盟」の意味・わかりやすい解説

日本労働組合総同盟 (にほんろうどうくみあいそうどうめい)

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世界大百科事典(旧版)内の日本労働組合総同盟の言及

【総同盟】より

…しかし戦時体制の強化にともない組合の解散が相つぎ,総同盟もついに40年7月21日の全国代表者会議で〈自発的解散〉を決定した。【二村 一夫】
【戦後の総同盟】
 正称は日本労働組合総同盟。1946年8月1日,戦後初の労働組合全国中央組織として約85万人の組合員により結成。…

【松岡駒吉】より

…また産業報国運動への参加には消極的立場をとり菊川忠雄らとたもとを分かった。第2次大戦直後から労働運動再建に着手,日本労働組合総同盟(総同盟)会長となり,46年から衆議院議員当選6回。第1回から第4回国会まで衆議院議長,その後,総同盟,日本社会党の顧問を務めた。…

※「日本労働組合総同盟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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