従士制度(読み)じゅうしせいど(英語表記)comitatus[ラテン]
Gefolgschaft[ドイツ]

改訂新版 世界大百科事典 「従士制度」の意味・わかりやすい解説

従士制度 (じゅうしせいど)
comitatus[ラテン]
Gefolgschaft[ドイツ]

古代のゲルマン人の国家(キウィタス)には,全自由人から構成される軍隊のほかに,いわば私的な軍事的主従制度があった。すなわち,自由人(若年貴族も含まれる)が,首長や軍事能力にすぐれた者に誠実の宣誓おこない,彼らの従士(ラテン語でcomes,ドイツ語でGefolge)となる慣行があり,この慣行を従士制度と呼ぶ。他人の従士となることはいささかも恥辱ではなく,身分の低下を伴うことはない。この主従関係が,自由人対自由人,独立者対独立者間の主従関係といわれるゆえんである。このことと関連して,誠実義務も主従双方を拘束する双務的義務であり,主従の一方がこの義務に違反すると,他方は主従関係を解消することができた。従士の第一の義務は,主君とともに出陣し,主君のために戦う義務であり,主君の戦死にもかかわらず自分の生命を全うすることは,従士にとって最大の恥辱であった。平時においても従士は,主君の開く裁判に参加したり,外国使節来訪の場に立ち会うことによって,主君の権威を増大した。従士相互の間にも等級があり,だれが主君のもとで第1席を占めるかをめぐって,彼らの間に競争があった。これに対して,主君は従士を保護し,従士に軍馬や武器やその他の贈物を与える義務を負うが,この贈物の元手は〈戦争と略奪によってのみ獲得され〉,したがって〈多数の従士を維持することは,暴力と戦争とによってのみ可能〉(引用はいずれも《ゲルマニア》)であった。このことは,従士制度が半戦時状態の永続という状況を前提として成立していたことを示している。通説は従士は主家に同居して生活したと考え,したがって彼らが結婚して独立の世帯を構えると,主従関係は解消したと説くが,私見によればその根拠は薄弱である。ゲルマン人の民族移動はこの従士軍によっておこなわれたが,移動中に投降者や被征服者が従士軍に加えられ,従士軍はしだいに大きくなり,この巨大化した従士軍が新しい部族の形成に導いていった。以上がほぼ通説の説く従士制度の姿であるが,基本的な史料タキトゥスの《ゲルマニア》13,14章とカエサルの《ガリア戦記》6巻23章に限られているために,解釈の余地が大きく,異論もある。
封建制度
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百科事典マイペディア 「従士制度」の意味・わかりやすい解説

従士制度【じゅうしせいど】

西欧で古ゲルマンの慣習に端を発し,誠実義務に基づいて結ばれた軍事色の濃い主従制度。タキトゥスによれば貴族が自由民の子弟を従士としてかかえ,衣食・武器・軍馬などを給与し,代償として軍事奉仕を要求した。ケルト系・ローマ系の類似制度に比べ自由人同士の関係として倫理的色彩が強かったが,次第に世襲化され,封建的家臣制の先駆となり,中世以降は恩貸地(ベネフィキウム)制と結合して封建制度の成立をもたらした。

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世界大百科事典(旧版)内の従士制度の言及

【グラーフ】より

…ラテン語ではコメスcomes。その管轄領域がグラーフシャフトGrafschaft(コミタートゥスcomitatus)である。ふつう伯と訳される。…

【西ゴート王国】より

…他のゲルマン部族国家と同じく,西ゴート社会は軍事的に組織された社会で,職業戦士としての従士集団が重要な位置を占めている。従士制度に関しては,ローマ的なブケラリイbuccellarii制とゲルマン的なサイオネスsaiones制が併存しており,前者では従士は土地と武器の両方を主人から給付されるのに対して,後者では武器しか与えられず,従士は主人の家計の中で暮らした。西ゴートの軍隊は,地方支配官である伯comesによって各地域ごとに徴兵された軍役義務者の集団と,ティウファドゥスthiuphadusと呼ばれる指揮者が統率する武装隷属民,それに従士軍から成っている。…

【封建制度】より

…ローマ時代のこの慣行はフランク王国の時代にも引き継がれたが,そこにおける治安の混乱と外敵の侵入とは,私兵隊形成の必要性を高め,被護民の中には軍事勤務に利用されてウァススvassus,ウァサルスvassallusと呼ばれた者も少なくない。 他方で,ゲルマン人の間には〈従士制度〉と呼ばれる自由な軍事的主従関係が存在していたが,これとローマ時代以来の慣行とが,両者の機能の共通性のゆえにしだいに融合して,8世紀後半には本来の意味の〈家士制〉が成立することになった。これによって,ウァススやウァサルスの地位は著しく高められ,彼らの義務は,初期にはなお隷属的な義務も残っていたが,しだいに軍事勤務と召集に応じて主君の館に出仕する義務とだけに限定されてきた。…

【民族大移動】より

… このように考えてくると,民族移動による社会経済の変化は,ローマ側よりもむしろゲルマン側の方が大きかったとさえいえるのである。その一例をいえば,古ゲルマン社会では土地があり余っていたため,従士制度という人的結合にのみ重点を置いた社会構造であったが,いまやローマ領内への移住により,土地保有の多寡が権力保持の基準となるというまったく新しい土地観念を植え付けられたわけで,この考えがやがて封土の授受となり,それと古い主従の観念とが制度的に結合して,あのユニークな西ヨーロッパ的封建制度をつくり出した。またバンダル王国を除く各地の部族国家(フランク王国,西ゴート王国東ゴート王国ブルグント王国ランゴバルド王国など)では,古い同族的結合の原理を保存しつつも,いっそう広大な領域を支配する必要から,キリスト教との関係を利用し,属州民との融合を図り,総じて王権の著しい伸張をみたが,それは結局,それぞれ特色ある国家の勢力均衡をもたらしただけで,西ヨーロッパの全域を再度ローマ帝国のような単一世界帝国の下に置くこととはならなかった。…

※「従士制度」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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