百科事典マイペディア「従士制度」の解説
従士制度【じゅうしせいど】
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…ラテン語ではコメスcomes。その管轄領域がグラーフシャフトGrafschaft(コミタートゥスcomitatus)である。ふつう伯と訳される。…
…他のゲルマン部族国家と同じく,西ゴート社会は軍事的に組織された社会で,職業戦士としての従士集団が重要な位置を占めている。従士制度に関しては,ローマ的なブケラリイbuccellarii制とゲルマン的なサイオネスsaiones制が併存しており,前者では従士は土地と武器の両方を主人から給付されるのに対して,後者では武器しか与えられず,従士は主人の家計の中で暮らした。西ゴートの軍隊は,地方支配官である伯comesによって各地域ごとに徴兵された軍役義務者の集団と,ティウファドゥスthiuphadusと呼ばれる指揮者が統率する武装隷属民,それに従士軍から成っている。…
…ローマ時代のこの慣行はフランク王国の時代にも引き継がれたが,そこにおける治安の混乱と外敵の侵入とは,私兵隊形成の必要性を高め,被護民の中には軍事勤務に利用されてウァススvassus,ウァサルスvassallusと呼ばれた者も少なくない。 他方で,ゲルマン人の間には〈従士制度〉と呼ばれる自由な軍事的主従関係が存在していたが,これとローマ時代以来の慣行とが,両者の機能の共通性のゆえにしだいに融合して,8世紀後半には本来の意味の〈家士制〉が成立することになった。これによって,ウァススやウァサルスの地位は著しく高められ,彼らの義務は,初期にはなお隷属的な義務も残っていたが,しだいに軍事勤務と召集に応じて主君の館に出仕する義務とだけに限定されてきた。…
… このように考えてくると,民族移動による社会経済の変化は,ローマ側よりもむしろゲルマン側の方が大きかったとさえいえるのである。その一例をいえば,古ゲルマン社会では土地があり余っていたため,従士制度という人的結合にのみ重点を置いた社会構造であったが,いまやローマ領内への移住により,土地保有の多寡が権力保持の基準となるというまったく新しい土地観念を植え付けられたわけで,この考えがやがて封土の授受となり,それと古い主従の観念とが制度的に結合して,あのユニークな西ヨーロッパ的封建制度をつくり出した。またバンダル王国を除く各地の部族国家(フランク王国,西ゴート王国,東ゴート王国,ブルグント王国,ランゴバルド王国など)では,古い同族的結合の原理を保存しつつも,いっそう広大な領域を支配する必要から,キリスト教との関係を利用し,属州民との融合を図り,総じて王権の著しい伸張をみたが,それは結局,それぞれ特色ある国家の勢力均衡をもたらしただけで,西ヨーロッパの全域を再度ローマ帝国のような単一世界帝国の下に置くこととはならなかった。…
※「従士制度」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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