ギリシアのマケドニア地方東部、エーゲ海北端、カバラ湾入口にある島。面積379平方キロメートル、人口約1万3000。山がちで森林に覆われる。最高点はプサリオ山の標高1203メートル。オリーブ油、ワインを産する。中心地は北岸のタソス(旧称リミンLimin)。タソス港の近くにアゴラ、アクロポリスなどギリシア時代の遺跡が残る。
[真下とも子]
最初の住民として知られるのは、金鉱山の存在に目をつけたフェニキア人であったといわれる。その後、紀元前7世紀にパロス(キクラデス諸島パロス島の中心市)の植民市となり、金の採掘、良質のワインと大理石の産出によって栄え、ギリシア本土、エジプト、フェニキアとの交易によって前6~前5世紀までには繁栄の極に達していた。ペルシア戦争時にはペルシアに屈したが、その後はアテナイ(アテネ)のデロス同盟の一員となる。しかし金鉱山の領有をめぐってアテナイと争って敗れ(前465)、貢租を納める従属的地位に落とされた。ペロポネソス戦争後、一時スパルタの支配下にあったが、再度アテナイに従属することになった。マケドニア戦争時にはフィリッポス5世(在位前221~前179)の側についたが、キノスケファライの戦い(前197)後、ローマから自由市を宣せられ、以前の繁栄を取り戻した。15世紀にジェノバ人、続いてオスマン帝国に占拠されたが、1913年、トラキアとともにギリシアに復帰した。
[古川堅治]
エーゲ海北部にあるギリシア領の島。カバラ県に属し,本土のネストス河口約7kmの沖合に位置する。面積379km2,人口1万3000(1971)。中心は北岸のタソス。山がちの島で,農業,牧畜のほか大理石,亜鉛の採掘も行われている。古代からフェニキア人,トラキア人,さらには前7世紀初め以降のパロス島からのギリシア人植民によって開け,島内および対岸のトラキアの金山の領有により,タソスは有力ポリスに数えられた。ペルシア戦争後デロス同盟に加入したが,金山をめぐるアテナイとの紛争により,一時アテナイに服した(前465-前463)。のちマケドニア,ローマ,ラテン帝国などの支配下に入り,15世紀半ば以降はオスマン帝国領。ギリシアに復帰したのはロンドン条約締結(1913)後であった。古来ブドウ酒の名産地としても知られる。大画家ポリュグノトスの出身地。
執筆者:池澤 夏樹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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