日本大百科全書(ニッポニカ) 「タフーリ」の意味・わかりやすい解説
タフーリ
たふーり
Manfredo Tafuri
(1935―1994)
イタリアの建築史家、批評家。ローマに生まれる。1960年にローマ大学建築学科で博士号を取得、ローマ、ミラノ、パレルモの各大学で教鞭をとった後、68年、ベネチア建築大学の建築史教授に就任、同大学に建築史研究所を設立した。ビチェンツァのアンドレア・パラッディオ建築研究国際センターの科学評議会委員、建築理論誌『アルヒテーゼ』Archithese編集委員なども務めた。マルクス主義から構造主義、記号論に至る現代の諸理論に通暁した理論家であり、アカデミックな歴史研究と現代建築批評の間を横断的に活動した。
第二次世界大戦後のイタリア思想界において多くの人々がそうであったように、初期のタフーリは、新マルクス主義といってよい立場から出発し、理論によって実践を主導することの可能性を探っていた。『建築のテオリア』Teoria e Storia dell'Architettura(1968)では、近代建築について、それを記述する歴史・批評の問題を含めて考察した。建築における近代の始まりを15世紀の人文主義時代にまでさかのぼって検証するとともに、歴史・批評自体の発生とその機能の変化を作品の史的変遷と並行して追跡した。近代芸術においてアバンギャルドが体現した反歴史主義の歴史的意味を、人文主義時代以来の時間的射程のなかで相対化した。さらに、マニエリスム、バロック、啓蒙主義時代、そして近代の革命期を経て、1960年代の同時代に至る歴史を素描し、批評の方法を論じた。
その後、タフーリは転換し「階級的批判はあっても階級的建築はない」と断言しつつ、資本主義的生産機構と制度としての建築の関係の解明を継続した。
『建築とユートピア』Progetto e Utopie(1973、邦訳『建築神話の崩壊』)では、近代建築のイデオロギー的系譜を、その形態や空間、社会の変動のなかで検証しようと試みた。『球と迷宮』La Sfera e il Labirinto(1980)では、ピラネージから1970年代の主要な建築家までを取りあげた。ここでは『建築のテオリア』の観点からさらに踏み込んで、啓蒙期から近代、そして現代に至る時代を三部に分け、テーマも建築や都市計画に限らず、映画や舞台に至るまでの広い対象を縦横に論じた。ベネチアにて没。
[秋元 馨]
『藤井博巳・峰尾雅彦訳『建築神話の崩壊――資本主義社会の発展と計画の思想』(1981・彰国社)』▽『八束はじめ訳『建築のテオリア――あるいは史的空間の回復』(1985・朝日出版社)』▽『八束はじめほか訳『球と迷宮――ピラネージからアヴァンギャルドへ』(1992・Parco出版)』▽『Jessica Levine trans.History of Italian Architecture, 1944-1985 (1989, MIT Press, Cambridge)』▽『マンフレッド・タフーリ、フランチェスコ・ダル・コ著、片木篤訳『近代建築1』(『図説世界建築史』第15巻・2002・本の友社)』