オーストラリアのブリズベン生まれの解剖学者、人類学者。クイーンズランド大学およびシドニー大学で医学を学んだ。1920年、南アフリカ、ヨハネスバーグのウィトワーテルスランド大学の解剖学教授となり、1924年にベチュアナランド(ボツワナ)のタウングで発見された人類化石の研究によって世界の注目を集めた。この化石は幼児と思われる高等霊長類の頭骨で、その一般的形態はチンパンジーの子供に似ている。しかし、ダートは頭骨形態や歯の詳細な比較研究を行った結果、これが100万年以上前のヒトの祖先であろうと考え、1925年、アウストラロピテクス・アフリカヌスAustralopithecus africanusと命名した。当初は反対意見も多かったが、R・ブルーム、ロビンソンJohn Talbot Robinson(1923―2001)などの協力により、ダートの予見が正しかったことが証明された。現在は東アフリカでも多くの同類の化石が発見され、アウストラロピテクスの年代は約400万年前までさかのぼることが確かめられている。1953年、アウストラロピテクスの発見、およびその研究に対して、人類学者の最高の名誉であるバイキング・メダルが贈られた。
[埴原和郎 2018年11月19日]
オーストラリア生れの解剖学者,人類学者。南アフリカ共和国ウィトウォータースランド大学の教授として在任中の1924年,タウング出土の化石の中に,類人猿と人類の中間のものにあたると考えた幼児の頭骨を発見し,その翌年,それをアウストラロピテクスの名で公表した。これが現在いう猿人の,最初の化石の発見である。この発見は長い間,評価されなかったが,十数年あとのR.ブルームの活躍以後,次第に世界的評価を受けることになった。また,40年代,50年代に,猿人遺跡(洞穴)からの多量の化石を調べ,猿人は動物の骨や角を攻撃用の道具に利用してヒヒその他の動物を殺し,肉食をしていたとし,〈骨歯角文化〉の存在を主張した。しかし,そういうことはある程度は行われていたとしても,一般的な形では確認されないと,積極的賛成はえられなかった。猿人が道具をさかんに使用していたというダートの主張は,東アフリカを中心として,当時の石器が多数発見されるようになって評価されることになった。また,猿人が火を使用していたという証拠を提示したが,これは誤りとして,完全に否定されている。
執筆者:岩本 光雄
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…本社イリノイ州。売上構成は,旧ダート社から受けついだ化学製品関係が約3割,旧クラフト社から受けついだ食品関係が約7割となっている。ダートは1902年創業の化学製品の多角化企業であり,タッパーウェアTupperwareの商品名で日本でも知られる食品用プラスチック容器のほか,化粧品,プラスチック製品,ガラス容器,高性能電池などの生産・販売を行っていた。…
…南アフリカから東アフリカにわたる地域で発見される猿人の一部,ないしは全部をさす動物分類学上の属名として使われる。1925年にR.ダートが,タウング出土の幼児頭骨にアウストラロピテクス・アフリカヌスの学名を与えたのが,この用語の始まりである。ダートは原始的人類と直接的に関係の深いサル(類人猿)の化石と考えてこの名を与えた。…
…今から三百数十万年前までさかのぼる古い時期の猿人である。
[きゃしゃな猿人]
1925年,R.ダートが南アフリカのタウング出土の幼児頭骨にアウストラロピテクス・アフリカヌスの学名を与えて以来,南および東アフリカで多数の化石が発見されてきた。属名アウストラロピテクスの頭文字にちなんでAタイプ,あるいは種名アフリカヌスの頭文字にちなんでaタイプの猿人と呼ばれ,また,〈きゃしゃなgracile猿人〉の通称でよく知られることから,gタイプの猿人とも呼ばれる。…
※「ダート」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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