サンタクローチェ聖堂(読み)サンタクローチェセイドウ

デジタル大辞泉 「サンタクローチェ聖堂」の意味・読み・例文・類語

サンタクローチェ‐せいどう〔‐セイダウ〕【サンタクローチェ聖堂】

Basilica di Santa Croce
イタリア中部、トスカーナ州の都市フィレンツェにあるゴシック様式の教会。13世紀前半にフランチェスコ修道会が創建した小聖堂を元に、アルノルフォ=ディ=カンビオの設計で14世紀後半に建造された。ジョット作のフレスコ画「聖フランチェスコ伝」(バルディ家礼拝堂)および「洗礼者ヨハネ伝」(ペルッツィ家礼拝堂)、ドナテロ作のレリーフ「受胎告知」と木彫「キリスト十字架像」がある。15世紀に建造されたバッツィ家礼拝堂はブルネレスキの設計によるもので、典型的な初期ルネサンス建築として知られる。
イタリア南部、プーリア州の都市レッチェにあるバロック様式の教会。16世紀から17世紀にかけて建造。多くの装飾が施されたファサードはジュゼッペ=ジンバロとチェーザレ=ペンナが手がけた。レッチェにおけるバロック建築を代表する建築物として有名。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サンタクローチェ聖堂」の意味・わかりやすい解説

サンタ・クローチェ聖堂[フィレンツェ]
サンタ・クローチェせいどう[フィレンツェ]
Santa Croce, Firenze

イタリアのフィレンツェにあるフランシスコ会修道会の聖堂。1294年におそらくアルノルフォ・ディ・カンビオにより建造が進められ,1442年に献堂。T字形プランのバシリカ式聖堂で,側廊のない単純な内部は広い空間をもち,イタリア・ゴシック建築の特徴を示す(→ゴシック建築)。身廊両側にはルネサンスの著名な芸術家が制作したダンテアリギエーリミケランジェロ,ニッコロ・マキアベリ,ジョアッキーノ・A.ロッシーニらの墓碑ドナテロのレリーフ『受胎告知』などが並んでいる。またペルーツィ家やバルディ家礼拝堂にジョット・ディ・ボンドーネが描いている一連フレスコは美術史上貴重な作品である。聖堂に隣接して建てられているパッツィ家礼拝堂ルネサンス建築を代表するフィリッポ・ブルネレスキの作品。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「サンタクローチェ聖堂」の意味・わかりやすい解説

サンタ・クローチェ聖堂
さんたくろーちぇせいどう
Basilica di Santa Croce

フィレンツェにあるフランチェスコ僧会所属のゴシック式聖堂。現在の建物は1224年にフランチェスコ僧会の修道士建築家たちによって建立された小聖堂を改築、拡張したもので、1294年に起工、1385年に完成した。1443年に行われた献堂式には教皇エウゲニウス4世が臨席している。設計者はアルノルフォ・ディ・カンビオとされるが、簡明で雄大な外観効果(19世紀に施工されたファサードは除く)と堂内の合理的な空間構成は、優れた彫刻家でもあったこの建築家にふさわしい成果といえる。依然としてバシリカ式の木組み天井が用いられているが、尖頭(せんとう)アーチを支える積柱列が形づくる三廊式の簡潔さは、後のブルネレスキによる聖堂の内部構成を予想させる。聖堂自体がもっとも優れたイタリア・ゴシック建築であるが、堂内を装う14世紀以降の彫刻・絵画にも美術史上貴重視される作品が少なくない。なかでも中世末期の大画家ジョットの円熟境地を示す『聖フランチェスコ物語』(バルディ家礼拝堂)と『洗礼者聖ヨハネ物語』(ペルッツィ家礼拝堂)、ドナテッロ浮彫り聖告』と木彫『キリスト十字架像』が有名である。また付属僧院中庭にあるパッツィ家礼拝堂はブルネレスキの設計で、初期ルネサンス建築のもっとも典型的な作例とされている。

[濱谷勝也]


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