チャスラフスカ(英語表記)Čáslavská, Věra

デジタル大辞泉 「チャスラフスカ」の意味・読み・例文・類語

チャスラフスカ(Věra Čáslavská)

[1942~2016]チェコスロバキア出身の体操選手。昭和39年(1964)の東京オリンピックでは、個人総合・跳馬平均台金メダル獲得。「東京恋人」「五輪名花」とよばれた。プラハの春を支持する「二千語宣言」に署名したため、一時迫害を受けるも、ビロード革命により名誉を回復。日本とチェコ親善にも貢献した。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「チャスラフスカ」の意味・わかりやすい解説

チャスラフスカ
Čáslavská, Věra

[生]1942.5.3. チェコスロバキアプラハ
[没]2016.8.30. チェコ,プラハ
チェコの体操選手。1950~60年代のオリンピック競技大会,世界選手権大会,ヨーロッパ選手権大会を通じ計 22個の金メダルを獲得した。初めフィギュアスケートに取り組んだが,15歳で体操競技転向。1958年,初参加の世界選手権大会において団体で銀メダルを獲得。1959年のヨーロッパ選手権大会では平均台で金メダルをとった。1960年のローマ・オリンピック競技大会で個人総合 8位,1964年東京オリンピック競技大会では個人総合,跳馬,平均台で優勝を果たした。その優美な演技から,日本では「五輪の名花」と称された。1968年3月,プラハの春に際して,チェコスロバキアの民主化推進を要求する二千語宣言に署名。ワルシャワ条約機構によるプラハへの軍事介入後,政治犯として逮捕される危機に直面し山村に身を隠したが,同 1968年10月のメキシコシティー・オリンピック競技大会直前にチェコスロバキア代表チームへの参加許可を得た。同大会では段違い平行棒床運動,跳馬で優勝,個人総合でも 2連勝を飾った。その後,政治的立場からチェコスロバキア政府や体制側から冷遇され,職を得られない状況におかれた。1989年ビロード革命によるチェコスロバキアの民主化ののち,同国のオリンピック委員会会長に就任。1993年のチェコとスロバキアへの分裂以降はチェコ・オリンピック委員会会長となった。1995~2001年国際オリンピック委員会 IOC委員を務めた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

大臣政務官

各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...

大臣政務官の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android