ディオニシオス(読み)でぃおにしおす(英語表記)Dionysios Halikarnasseus

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ディオニシオス」の意味・わかりやすい解説

ディオニシオス(古代ギリシアの歴史家)
でぃおにしおす
Dionysios Halikarnasseus

生没年不詳。古代ギリシアの修辞学者、歴史家。小アジアのハリカルナッソス出身。紀元前30年から長くローマで教鞭(きょうべん)をとり、ローマ建国からポエニ戦争(第1回)に至る『ローマ史』を前7年から公にした。全20巻のうち初めの10巻と、その他の巻の断片が現存する。彼はかつてアテネ繁栄を極めたころのアッティカ方言である古典ギリシア語を、書きことばとして復活させようとする復古運動の最初の代表者で、自らそれを実行した。その範としたのはデモステネスで、この弁舌家を含めた『古代弁舌家論』を著し、また『トゥキディデス論』によってその難解な文章を内容と文体の面から分析している。また『統語論』は豊富な文学作品からの引用を交えながら、文における語の選択と配置、文のリズムとさまざまな表現の技巧を論じたもので、アリストテレスの『修辞学』に精通した著者の貴重な文体論である。

[風間喜代三]


ディオニシオス(1世)
でぃおにしおす
Dionysios Ⅰ
(前430ころ―前367)

古代シチリア島シラクサ僭主(せんしゅ)(在位前405~前367)。紀元前405年に全権将軍に選ばれて事実上僭主となり、下層民や多数傭兵(ようへい)に支持され、前398~前392年、前382~前374年、前368年~死までの三度、シチリア島を二分してカルタゴと戦った。前388~前375年に南イタリアアドリア海に進出しシラクサを繁栄させた。文芸を好み、プラトンも来訪した。

[清永昭次]


ディオニシオス(2世)
でぃおにしおす
Dionysios Ⅱ
(前397ころ―前336以後)

古代シチリア島のシラクサの僭主(せんしゅ)(在位前367~前344)。父ディオニシオス1世の後を継ぎ、紀元前357年以降、南イタリアに遠征したが、軍事政治能力において父に劣り、前344年シラクサの城塞(じょうさい)オルティギア島に包囲され、降伏して、余生コリントで送った。学芸を愛し、二度プラトンを招いた。プラトンは哲人王の政治の実現を望んだが、幻滅に終わった。

[清永昭次]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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