デルジャービン(その他表記)Gavrila Romanovich Derzhavin

精選版 日本国語大辞典 「デルジャービン」の意味・読み・例文・類語

デルジャービン

  1. ( Gavrila Romanovič Djeržavin ガブリーラ=ロマノビチ━ ) ロシア詩人女帝エカテリーナ二世の庇護をうけ、古典主義の枠を破り、リアリズムへの道を開く作品を書いた。著に頌詩「フェリーツァ」など。(一七四三‐一八一六

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改訂新版 世界大百科事典 「デルジャービン」の意味・わかりやすい解説

デルジャービン
Gavrila Romanovich Derzhavin
生没年:1743-1816

ロシアの詩人。カザンの貧しい貴族の家に生まれ,10代の末から近衛連隊に一兵卒として勤務し,10年後に士官に任官した。やがて文官に転じ元老院下級官吏の地位にあったとき,女帝エカチェリナ2世を賛美した頌詩(しようし)《フェリーツァによせて》(1782)が認められて一躍抜擢ばつてき)され,以後は県知事,女帝秘書官,元老院議員,司法大臣などを歴任した。晩年ノブゴロド郊外の領地ズワンカ村に隠棲した。詩作をはじめたのは30歳ごろで,初期の作品はロモノーソフばりの古典主義的色彩の濃いものであった。古典主義の荘重さと軽妙な風刺の要素を結合させた独特の華麗なスタイルが確立するのは,《メシチェルスキー公の死をいたみて》(1779)や上述の《フェリーツァによせて》,《神》(1784),《イズマイル占領によせて》(1791),《高官》(1794)などの頌詩においてである。上記の最後の三つの作品は文化年間(1804-18)に海軍士官ゴロブニンによって日本に紹介され,馬場佐十郎によって部分的にではあるが漢詩風に翻訳された。1790年代以後は抒情的な作品が多くなり,《アナクレオン風歌謡集》(1804)に収められた作品には,古代ギリシアの詩人への深い傾倒がみられる。また《正餐(せいさん)への招待》(1795),《ズワンカ村の生活》(1807)では田園生活が豊かな感性をもって,きわめてリアルに描かれている。最晩年には戯曲にも筆を染めた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「デルジャービン」の意味・わかりやすい解説

デルジャービン
でるじゃーびん
Гаврила Романович Державин/Gavrila Romanovich Derzhavin
(1743―1816)

ロシアの詩人。地方の貧しい貴族の出身。初め一兵卒として軍隊に勤務したのち、元老院の属吏となる。39歳のとき賢明な女帝をたたえる頌詩(しょうし)『フェリーツァに寄せて』をエカチェリーナ2世に捧(ささ)げ、それが機縁となって抜擢(ばってき)され、各地の県知事や女帝の秘書官、元老院議員などを歴任し、1802年には新帝アレクサンドル1世のもとで司法大臣の職についたが、翌年にはいっさいの公務を退き、晩年は領地のズワンカ村に隠棲(いんせい)した。初期の作品にはロモノーソフやスマローコフらの流れをくむ古典主義的色彩が濃かったが、『メシチェルスキー公の死をいたみて』(1779)、『フェリーツァに寄せて』(1782)などにおいては古典主義の荘重さと軽快で辛辣(しんらつ)な風刺の要素を結合させたデルジャービン独特の華麗なスタイルを確立した。さらに『神』(1784)、『瀑布(ばくふ)』(1780)のように哲学的な思索を優美な形式で展開した頌詩、『オチャコフ包囲の秋』(1788)、『イズマイル攻略をたたえる』(1790)などのように国家の隆運を歌った作品を次々と発表し、エカチェリーナ2世時代の桂冠(けいかん)詩人と称せられた。『正餐(せいさん)への招待』(1795)、『ズワンカ村の生活』(1807)など後期の作品では古典主義の羈絆(きはん)を脱し、リアルな生活体験を感性豊かに歌い上げてロシア詩の発展に寄与した。

[中村喜和]

『除村ヤエ訳『フェリーツァ』(『世界名詩集大成12』所収・1959・平凡社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「デルジャービン」の意味・わかりやすい解説

デルジャービン
Derzhavin, Gavrila Romanovich

[生]1743.7.14. カザン
[没]1816.7.20. ノブゴロド,ズバンカ
ロシアの詩人。小貴族の家に生れ,1762年近衛連隊に兵卒として勤務したが,同年の宮廷革命に参画し,エカテリーナ2世に認められ,県知事,枢密顧問官,元老院議員,法務大臣などを歴任。 M.ロモノーソフの伝統を継ぐ古典主義的詩人であるが,その狭い枠にとらわれず,頌詩のジャンルに風刺的要素を導入し,写実主義的モチーフの風景詩や宗教的,哲学的な詩を多く書いて,初期の A.プーシキンに影響を与え,のちのリアリズム詩の基盤をつくった。代表作『メシェチェルスキー公の逝去を悼みて』 Na smert' knyazya Meshcherskogo (1779) ,『神』 Bog (84) ,『滝』 Vodopad (91~94) 。

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