デル・モナコ(読み)デルモナコ

百科事典マイペディア 「デル・モナコ」の意味・わかりやすい解説

デル・モナコ

イタリアのテノール歌手。ペーザロ音楽院に学び,1939年オペラデビュー。同年軍隊に召集されるが,兵役中もイタリア各地の歌劇場に出演し経験を積む。第2次大戦後ミラノスカラ座に登場し,テバルディ,M.カラス共演ベルディの《アイーダ》や《オテロ》,ジョルダーノの《アンドレア・シェニエ》などで名声を確立した。以後ヨーロッパ各地で歌い,1950年メトロポリタン歌劇場進出。その輝かしい声で〈黄金トランペット〉の異名をとり,カルーゾージーリを継ぐ名テノールと称えられた。1959年初来日。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

改訂新版 世界大百科事典 「デル・モナコ」の意味・わかりやすい解説

デル・モナコ
Mario del Monaco
生没年:1915-82

イタリアのテノール歌手。ペーザロ音楽院とローマ歌劇場の歌手養成所で学ぶ。第2次大戦中,軍隊に在籍しながらイタリア国内のおもだった都市でオペラに出演。戦後はミラノのスカラ座で《アイーダ》《アンドレア・シェニエ》にカラス,テバルディと共演して聴衆を魅了した。同時にヨーロッパ,アメリカの各地で上記の2作や《トスカ》《マノン・レスコー》《オテロ》等に出演。悲劇主人公を演ずるにふさわしい声と容姿もあって成功をおさめたが,63年12月自動車事故にあって半ば引退。1959年,61年,69年に来日。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「デル・モナコ」の意味・わかりやすい解説

デル・モナコ
でるもなこ
Mario Del Monaco
(1915―1982)

イタリアのテノール歌手。フィレンツェ生まれ。幼時ペザロに移って同地の音楽院で声楽を学ぶ。1939年、ペザロのオペラの舞台に立ったが、正式のデビューは40年12月、ミラノのプッチーニ劇場における『蝶々(ちょうちょう)夫人』のピンカートン。第二次世界大戦直後のベローナ野外劇場で『アイーダ』のラダメスを歌って大成功。以後、ロンドンを皮切りに、南米、イタリア各地で活躍、51~59年にはニューヨークのメトロポリタン・オペラに所属して人気を集めた。50年代が「黄金のトランペット」と称された彼の声と芸術の絶頂期で、とくに『オテロ』『アンドレア・シェニエ』『道化師』を当り役とした。59年(昭和34)、61年のイタリア歌劇団公演にもこれらの役で参加し、日本の観客を圧倒した。63年12月、自動車事故で重傷を負い、カムバックはしたが出演は減り、75年ごろまで活動を続け、ベネチアに没した。

[美山良夫]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「デル・モナコ」の意味・わかりやすい解説

デル・モナコ
del Monaco, Mario

[生]1915.7.27. フィレンツェ
[没]1982.10.16. ベネチア近郊メストレ
イタリアのテノール歌手。幼時にペザロに移り,同地の音楽院で学んだ。 1941年ミラノのプッチーニ劇場でデビュー。第2次世界大戦後はヨーロッパ各地で活躍,50年にアメリカにデビュー。 51~59年にはメトロポリタン歌劇場に所属,ミラノ・スカラ座にもほとんど毎年出演し,「世紀のテノール」「黄金のトランペット」と称された。特に『オテロ』は絶唱とされる。 59,61,69年来日。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android