家族法は家族に関する法である。日本の民法には,第4編親族,第5編相続があるが,欧米諸国で家族法というときは,相続法を別にして親族法だけを指し,日本でもまずその意味に使われる。しかし,日本では,相続法まで含めて,広く家族に関する法を家族法と呼ぶことも少なくない。以前から民法を財産法と身分法に大きく分けることがあったが,広義の家族法はこの身分法にあたることになる。身分法というと,封建的な身分のように古い固定的な身分とつながりのあるように見られるので,戦後は身分法の代りに家族法がよく使われている。しかし,戦後改正された民法にも,祖先祭祀主宰者など,古い身分とかかわりのある規定があるので,やはり身分法と呼ぶべきだ,という人もある。いずれにせよ,従来からの身分法の語も,広義の家族法とともに使われている。
家族法は,その規律の対象である家族と表裏をなして発展してきた。古代ローマでは,法は家に入らずとされ,家長が生殺与奪の強大な家長権をもって家族員を支配したといわれるが,実際には家長は家族員を保護したとも説かれる。中世ゲルマン法では,家長は家族員を保護するために夫権や親権を与えられていた。近代法においては,夫婦と未婚ないしは未成熟の子からなる小家族あるいは核家族が一般的となり,家長権は消滅して,夫婦の同権を基本とする婚姻法と,未成年の子に対する親権による保護を中心とする親子法が,家族法の根幹となった。なお,相続法については,配偶者の相続権を認めるとともに諸子均分相続とする法定相続と,遺言の自由を認めた遺言相続とが,併存する形になっている。
日本では,民法制定の際に日本固有の家族制度ないしは慣習に基づいて立法しようとする考え方と,西欧の近代的家族法を取り入れようとする考え方との対立があった。ボアソナードが中心となって起草した旧民法は,一度公布をされながら,〈民法出デテ忠孝亡ブ〉(穂積八束)というような攻撃を受けて,施行が延期され,別の新たな民法がつくられて1898年から施行された。
この明治民法では,戸主権と長男単独相続の家督相続とに支えられた戸主を家長とする〈家〉の制度がとられていた。これは家族制度(家族の制度一般という広い意味ではなく,明治民法におけるように戸主権という家長権で家長が家族員を支配するという狭い意味で用いたもの),あるいは家制度と呼ばれる。明治民法における家族法は,権利義務という近代法的な構成をとってはいたが,その内容は日本固有の慣習を基本としており,それを温存する役割を果たしてきた。
しかし,この明治民法でも〈我国古来の淳風美俗〉に反するところがあるとする保守派の議論が起こり,1919年に臨時法制審議会が設けられて家族法の改正が討議され,〈民法親族編中改正ノ要綱〉(1925)と〈民法相続編中改正ノ要綱〉(1927)がつくられた。これらは,外形は保守派に妥協しつつ,内容は家族の近代化に対応する方向に向かっていた。これに基づいて〈人事法案〉がつくられたが(1941),そのまま終戦を迎えた。
終戦後の日本国憲法には,婚姻および家族に関する法律は,個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならない,とする規定がおかれた(24条)。明治民法の〈家〉制度は,この近代家族法の基本原理に反するものであったので,47年に民法の親族編・相続編を全面的に改める民法改正が行われた。これによって戸主権と家督相続が廃止され,配偶者相続権と諸子均分相続が実現した。それとともに,妻の無能力の廃止,子に対する夫婦の共同親権など,夫婦の同権が認められた。また民法改正とともに,家庭裁判所が新設された。
この民法改正は,世界に共通する近代的な家族法を目ざすものであったが,一部では,日本の実情に反し美風をそこなうものだとして,1950年代には,憲法改正論とともに,家族制度復活論を唱えるものがあった。しかし,この改正法も時とともに定着し,家族制度復活論は消滅することとなった。また,農家相続については,均分相続による農地の細分化のおそれがあるため,農業承継者の取り分をふやそうとする農業資産特例法案が,1947年と49年の2回にわたって国会に提出されたが,審議未了となった。しかし,その後も,農地の細分化がそれほど進んでいるわけではない(〈遺産分割〉の項目を参照)。
62年には,孫の代襲相続の明確化,特別縁故者への遺産の分与などの民法の一部改正が行われたが,80年には,配偶者相続分の引上げ,寄与分の新設などの相続法の改正が行われた。
ところで,家族は,かつては農業や商工業における生産単位であったが,近代社会における産業の発展に伴ってしだいに消費単位へと転化していった。さらに,個人の独立が進み,女子の勤労が拡大することになると,家庭での共同生活の時間と範囲は縮小して,家族の変質・解体が問題とされるようになる。アメリカやヨーロッパの諸国では,このような家族の変化が問題とされ,それにどう対応すべきかが,近年議論されている。日本では,まだそれほどの切迫感はないが,欧米諸国のような変化は,いずれ日本でも起こりうるであろう。その場合には,家族の将来がどうなっていくか,それに家族法が法政策としてどう対応すべきか,家族の法的規制がどこまで必要か,などが問題になると思われる。
→家族政策 →家族制度
(1)家族法の習俗性と指導性 家族法は,一方では,社会で実際に行われている家族関係,家族生活に密着して,それとともに進まざるを得ない。家族関係は,財産関係のように合理的・打算的意思によって処理されるものではないから,伝統的・習俗的な家族関係の実態を法律によって改めることには困難がある。これは,家族法の習俗性あるいは事実密着性ということができる。しかし,他方において,戦後の新憲法に基づく民法改正のように,一定の指導理念による法改正によって家族関係の改革・改善を図るということも,行われることがある。戦後の改正においても,家族関係の近代化がある程度まで進んでおり,改正を支える基盤があったために,それが定着するようになったと見ることができよう。一般の法制度と同様に,家族法についても,その指導性ということが考えられるわけである。
ところで,一定の法政策に基づく家族法と現実の家族関係との間には,ある程度のギャップが生じることは避けがたい。その中には,妾のように一夫一婦婚の原則に反するものと,内縁の夫婦のように届出による法律婚主義という法技術的要請に乗らないものとがある。前者は法的には効力を認めることができないが,後者のような場合には,判例や学説によって一定範囲の法的効果が認められることがある。これも広い意味での法政策的判断によるものである。
(2)家族法の意思主義 家族関係においては,人格的な結合が中心となり,合理的・打算的意思の働く余地はとぼしい。財産関係では,当事者の思い違いなどで法的な意思が欠けている場合にも,取引の安全のために,表示主義の立場から当事者間および第三者との関係で取引の法的効力を認めることがあるが(例,民法93~96条),婚姻などの家族関係では,意思を基本に考える意思主義の立場が堅持され,一方の意思が欠けていればその行為の法的効力が認められることはない(例,民法742条。なお〈意思主義・表示主義〉の項目を参照)。民法の第一編総則は,財産法,家族法を通じる通則のように見えるが,それが家族法にも適用されるかは,上述のように個別的に検討が必要であり,民法総則は当然には親族法に適用があるものではない,と考えられている。
執筆者:加藤 一郎
近代化以前において,日本も中国もともに家族主義の社会であったということができるであろう。個人をそれぞれ窮極の価値を担う存在と見て,その価値実現のために個性の自由な展開を許容・奨励する立場から社会が構成されないで,個人を,祖先から子孫へと伝わる個人を超えたなんらかの価値を現在において担うところの1世代として評価し,個性の展開よりも家族関係への順応を要求する立場から社会が構成されていた。この限りにおいて確かに両国の前近代社会の性格は共通している。しかしここで家族といわれるものが,両国において基本的に異なる原理の上に立つものであったことを忘れてはならない。
両国における家族の基本的な性格の違いは,中国人の考える〈姓〉の観念は日本には存在せず,逆に日本人の考える〈いえ〉の観念は中国には存在しなかったという一点に,最もよく集約されるであろう。
中国人の〈姓〉は,父の姓が子に伝わることを不動の鉄則とする。姓は,人がだれを父としてこの世に生を受けたかによって,終生変わらないものとして個人に刻みつけられた称呼である。婦人も結婚によって姓を変えることなく,むしろ結婚後は,某の妻某氏というふうに実家の姓をこそ自己の名とする。
同姓不婚,異姓不養という両面の規範が,〈姓〉の根底にある基本観念を物語っている。それは,人はその父の生命の延長としてこの世に生きるという観念であり,父子の関係を組み合わせ積み重ねてみれば,共同の祖先から父系の血筋を通じて分かれ出た子孫はすべて同一の生命の拡大した同類にほかならないという観念である。同じ姓を称することはこの意味での同類たることの表示なのである。同姓者は同類なるがゆえに,近親相姦を不可とするのと同じ観念が働いて,相互の婚姻を不可とするのが同姓不婚の規範であり,祖先祭祀というものが,人が己の生命の根源に思いを致し,祖先から子孫に拡大する悠久な生命の一環として自己が存在することを思い起こす行為であるからには,実子のない場合にも同類のうちから養子が選ばれなければならず,異姓者を養子として祭祀を託することはできないとするのが,異姓不養の規範である。
中国の文化的影響が東アジアの諸国に及ぶ過程において,同姓不婚,異姓不養の規範は朝鮮には受け入れられたけれども,日本には受け入れられなかった。日本人が名のる苗字は,決して中国人の考える姓ではない。それは本質的には〈いえ〉という社会的構成体の名であり,個人は自己の所属する〈いえ〉の名を称する。養子縁組によって〈いえ〉への所属が変われば苗字が変わることになんの抵抗も感ぜられない。家名という個人を超えたものの永続を願ってこそ養子が求められた。中国人にとっては,出生によって定まる姓こそが,その人間が本源的に何者であるかを規定している名であり,これを変えることは本来できないはずのことであり,ゆえあって変えるとすればそれははなはだしい屈辱であった。
日本語には〈家を継ぐ〉という言い方がある。もし〈いえ〉が生活を共にする人々の集りというだけのものであるとすれば,それを継ぐということは意味をなさない。継がれるものは家名であり家業であり家代々の墓所・位牌であり,またそれらすべての経済的基盤としての財産であった。これが人を超え世代を通じて維持される〈いえ〉の実体であった。中国にはこの〈家を継ぐ〉という言い方がない。中国において〈家〉とは,広い意味では〈族〉と同義であり,共同祖先から父系の血筋を引いて分かれ出た子孫のすべて,すなわち同族(前述した意味での同類)を意味し,狭い意味では,同族のうちで現在なお家計を分けずに暮らしている近親者の集団をいう言葉であった。いずれの意味でも,家とは人々の集団であり,それ以上の意味を持たない。家は栄えそして分かれることはあっても,継がれるという性質のものではなかった。
中国で〈継ぐ〉といえばその目的語はだれそれという人であった。人を継ぐという表現によって,その人を祭ることとその人に属していた財産上の権利義務を包括的に引き継ぐこととを,不可分一体的に意味したのである。人を継ぐ者をその人の〈嗣〉(あとつぎ)という。息子は当然に父の嗣である。息子はみな父の生命の延長なのであるから,どの息子もみな父を祭る完全な資格を有し,したがって共同して祭祀の行事を行い,財産を平等に分けあった。息子がないときは同族のうち息子と同世代に当たる者のなかから嗣子(養子)が選ばれた。それ以外に〈嗣〉となりうる者はない。娘は父の嗣ではない。女性は結婚して夫と一体となることによってはじめて,夫族の一員として祭り祭られる関係のなかに位置づけられるものなのであった。日本において一系の〈いえ〉を絶やさないことが相続の核心であったのに対して,中国では一人一人の人間の祭祀を絶やさないこと--兄弟何人かあればどの兄弟にもそれを祭る嗣があるべきこと--が相続の核心であった。祖先から子孫にわたって一つの無形の生命が拡大し末広がりに繁殖し続けることを根源的な価値と見て,個人をその一節として位置づけるのが,中国における家族主義の基本観念であった。
家計を共にする生活を〈同居共財〉またはたんに〈同居〉といった。それは高度に法的な関係であり,日本の〈いえ〉の生活が当主と家族との間の多分に情誼に基づく不定量的な庇護と献身の関係であったのと異なる。同居共財とは平易にいえば家族が財布を一つにする生活である。各人の勤労の所産をすべて一つの家計に持ち寄り,各人の消費をすべてこの一つの家計から賄い,そして財産はすべて共同の家産として保持する制度である。学者はこれを家族共産制という。全員が家にあって農業に従事するような家族においては,各人の勤労の所産は,共同の収穫という形で自然に家計にプールされるけれども,家族員のうちに内職をしたり,人に雇われたり,出稼ぎしたりして金銭を得る者があれば,必要経費を差し引いた純益のすべてを,家計の出納を預かる者の手に渡さなければならない。他面に,かような収入の持寄りによって維持される家の財産に対して,各人は相互間の親族身分関係から定まるところの法的な権利を有する。その権利はいつの日か家産分割という形で実現される。
家産をめぐる家族各人の権利は,祭り祭られる関係のなかに各人が占める地位の反映であるということができる。父と息子は,現時点においては父がすべてを所有し息子の持分というべきものがない反面に,父の死後には父に属していたすべてが包括的に息子のものとなるべきであるという関係に立つ。息子のこの期待権を父といえども侵害することができない。兄弟はひとしく父の息子であるがゆえに,相互には平等の持分をもつ。父の生存中はその持分は潜在的であるが,父の死によって顕在化し,兄弟は家産の共同所有者となる。夫と妻は,夫が生存する限り妻はその陰にかくれて独自の家産持分をもたないが,夫が死亡して再婚せずにとどまる寡婦は,夫の身代りとして夫に属していたすべてを保有し続けるという関係に立つ。以上,父子,兄弟,夫婦という三つの関係の組合せによって,いかに複雑な構成の家族においても,各人の権利が明確に規定される。これに対して,未婚の娘は厳格な権利をもたない。嫁入りに際して親兄弟の配慮によって適宜にしたくを受けることを期待できるだけである。そして実家からしたくを受けて婚家に持参した財産は夫婦の特有財産となり,夫の親兄弟を含めた婚家の家産には合流しないというのが固い決りであった。〈同居共財〉は作為によって設定される関係ではない。子は出生により,妻は結婚によって当然にこの関係のうちに取り込まれる。他面それは,作為によらないでは解消しない関係である。人の死亡は集団から一員が去ったことを意味するに過ぎず,あとに残った者たちの間に従来どおりの関係が続く。跡目相続,遺産相続という問題を生じない。不作為に放置すれば,数世代にわたって同居する大家族となりうるが,もちろんその例はきわめてまれである。
同居共財を解消する作為がすなわち家産分割である。それは,現有の家の資産を分けあうと同時に,将来に向かって各自の家計は独立たるべきことを約定する明示の法律行為である。父が生前に息子たちの間で分割させておくこともあるし,父祖の死後年を経て,兄弟や従兄弟の間で行われることもある。いずれにせよそれは,兄弟なり従兄弟なりある一つの世代に着目して行われ,しかもその世代の成員全部について同時に行われる。兄弟が1人ずつ順次に独立して分かれてゆくことはない。家産分割は中国の家族生活における劇的な節目であり,このとき人々の権利意識がむき出しとなって競いあう。その調停役として必ず公正な第三者が立会人として招かれ,その面前で取り決めた各人の取得分を文書に作成して,後の証拠として各人1通を保存するのが常であった。
家産分割によって分かれた兄弟は,各自の妻子との間に同居共財の関係を生ずるのであって,つまりは大集団が小集団に分かれたことにほかならない。同居共財という家族生活の原理そのものをやめてしまうことは,だれにもできないことであった。
以上のように,中国の家族制度は〈いえ〉ではなく人を中心におくものであった。出生と結婚によって動かしがたく定まる相互の権利関係を下敷きとして,同居共財という何ぴとものがれることのできない相互依存関係を展開するのが中国の家というものであった。日本に見られるような個人の〈いえ〉への献身と甘えの要素がなく,家庭生活自体のなかに冷ややかに覚めた個人相互の関係があったことに注意すべきである。
→家 →相続
執筆者:滋賀 秀三
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…第2次大戦後,現行憲法の施行とともに,親子は対等独立の人格者どうしの関係として設定されたが,日本の社会組織においては社会的には親分子分関係,官僚組織などに象徴されるいわゆる〈タテ社会〉の特徴は失われていない。
[現代家族法と親子]
現代家族法がモデルとしているのは夫婦と未成熟子からなる個別家族であり,現代の親子法はそのような親と未熟子の関係を規制の対象にする。親子法の理念はかつてのように〈家〉本位,親本位にあるのではなく,もっぱら子本位であり,子の福祉や利益の保護を目的とし,最大限にそれを尊重するところにある。…
※「家族法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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