ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドミトリー・ドンスコイ」の意味・わかりやすい解説
ドミトリー・ドンスコイ
Dmitrii Donskoi
[没]1389.5.26. モスクワ
ロシアのモスクワ大公 (在位 1359~89) 。ディミトリー・ドンスコイとも表記される。イワン2世 (柔和公)の子。即位当初はモスクワ府主教アレクセイの指導のもとに統治。モスクワ大公国の順調な経済発展,ロシア教会との密接な関係を背景に,北東ロシアの長上権であるウラジーミル大公位をめぐる争いで他の諸公国を圧倒。 1367年にはモスクワの城塞 (→クレムリン ) を石造にし,リトアニア (リトワ) 大公オリゲルドの2度にわたるモスクワ攻撃を撃退。また 78年にはモスクワ大公として初めてキプチャク・ハン軍に戦いを挑み,80年にはドン川上流域クリコボの野にハン国の事実上の支配者であったママイ・ハンの大軍を激戦の末破った (→クリコボの戦い ) 。ドンスコイという名称はこの戦いにおける勝利に由来する。
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