改訂新版 世界大百科事典 「ライヒスバンク」の意味・わかりやすい解説
ライヒスバンク
Reichsbank
第2次大戦終了までの期間におけるドイツの中央銀行として,アメリカの連邦準備制度,イギリスのイングランド銀行,フランスのフランス銀行と並び称された世界的に著名な中央銀行の一つであった。ライヒスバンク(帝国銀行)の前身はプロイセンの中央銀行であったプロイセン銀行で,1871年ドイツ統一の理想実現後数年を経た75年3月の銀行法Bankgesetz制定により,ドイツ全土にわたる中央銀行として改組されたものである。ライヒスバンクはプロイセン流官治統制の色彩の強い中央銀行であったが,しかし発券制度として1/3比例準備法(これに保証準備屈伸制限法を加味)を採用していたので,財政による発券作用の乱用は生ずる余地がなかった。
しかし1914年に第1次大戦が突発するや,銀行法は改正され,比例準備制度は停止されたので,財政の赤字はライヒスバンクによって金融され,ここに有名なドイツ・インフレーションが始まり,大戦終了数年後の1923年に極点に達した。こうして24年に将来におけるインフレーションの再発を防止する目的で,新しいライヒスバンク法が制定され,ライヒスバンクの根本的改革が行われた。すなわち,ライヒスバンクは国・政府から独立の銀行とされた結果,政府の干渉はなくなり,財政に対する信用供与の限度も限定され,さらにその実施は30年に延期されたものの,40%の比例準備法が規定されるに至った。しかるに33年1月,ナチス政権が成立するや,ふたたび政府の監督権を復活し,さらに39年6月新たにドイッチェ・ライヒスバンク(ドイツ国立銀行)法Gesetz über die deutsche Reichsbankが制定され,旧来のライヒスバンクは国家の無制限主権に服従する新しいドイッチェ・ライヒスバンクに改組された。これと同時に銀行券と金との関係は切断され,ドイッチェ・ライヒスバンクは財政に対し無制限の信用供与を行うこととなった。これは第2次大戦突発(1939年9月)直前のことであり,ナチス政権下の戦時金融はこのドイッチェ・ライヒスバンク法を基礎として運営されたが,これがドイツをして2度目の激しいインフレーションを体験させることとなった。
1945年5月ドイツ降伏とともに連合軍の命令によりドイッチェ・ライヒスバンクは閉鎖され,その代りに46年から48年にかけて西ドイツ地域の各州ごとに州中央銀行が設立され,旧ドイッチェ・ライヒスバンク支店を母体として中央銀行業務が開始された。次いで48年3月州中央銀行の中核体としてレンダー・バンクBank deutscher Länderが設立され,旧ドイッチェ・ライヒスバンクはここに再生した。そして57年にはレンダー・バンクは改組されて今日のドイツ連邦銀行となった。
執筆者:吉野 俊彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報