ニキシュ

精選版 日本国語大辞典 「ニキシュ」の意味・読み・例文・類語

ニキシュ

  1. ( Arthur Nikisch アルトゥール━ )[ 異表記 ] ニキッシュ ハンガリー生まれの指揮者。一八七八年ライプチヒ市立歌劇場でデビュー。のちボストン交響楽団ベルリン‐フィルハーモニー管弦楽団などを指揮。曲の客観的解釈を重視し近代指揮芸術を確立した。(一八五五‐一九二二

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百科事典マイペディア 「ニキシュ」の意味・わかりやすい解説

ニキシュ

ハンガリー出身のドイツの指揮者,バイオリン奏者。父はモラビアの出身。ウィーン音楽院で名バイオリン奏者J.ヘルメスベルガー〔1828-1893〕(ヨアヒムの師G.ヘルメスベルガーの息子)らに学び,バイオリン奏者として活動後1878年ライプチヒ市立歌劇場の指揮者となる。以後1889年―1893年ボストン交響楽団の常任指揮者を務め,ブダペストの王立歌劇場を経て1895年からライプチヒ・ゲバントハウス管弦楽団ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者を兼任。1902年―1907年ライプチヒ音楽院教授。ベートーベンから後期ロマン派に至るドイツ音楽のほかチャイコフスキーを主なレパートリーとし,その劇的で構成力に優れた指揮ぶりは1914年のベルリン・フィルとのレコード録音,ベートーベン《交響曲第5番》などに聴くことができる。→ブルックナーフルトウェングラー
→関連項目クライスラーハイフェッツバックハウスライナー

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改訂新版 世界大百科事典 「ニキシュ」の意味・わかりやすい解説

ニキシュ
Arthur Nikisch
生没年:1855-1922

ハンガリー生れの指揮者。ウィーン音楽院に学び,初めバイオリン奏者として活動,1878年ライプチヒでオペラ指揮者となり,89年ボストン交響楽団の常任指揮者に就任,以後ゲバントハウス管弦楽団,ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団等の一流オーケストラの指揮者を歴任した。主観的恣意を排除して近代指揮芸術を確立した功績はきわめて大きい。わずかながら録音が残されている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ニキシュ」の意味・わかりやすい解説

ニキシュ
にきしゅ
Arthur Nikisch
(1855―1922)

ハンガリー出身のドイツの指揮者。ウィーン音楽院でバイオリンを学び、ウィーン宮廷歌劇場管弦楽団に入る。1878年指揮者に転じ、78~88年ライプツィヒ市立劇場指揮者。ボストン交響楽団、ブダペスト歌劇場を歴任して、95年以来亡くなるまでライプツィヒ・ゲバントハウス管弦楽団とベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者を兼任、「ドイツを代表する指揮者」との名声を確立。ハンス・フォン・ビューローから引き継いだ創立まもないベルリン・フィルは、ニキシュ時代に世界的な楽団へと育っていったのである。ニキシュの指揮は、楽譜背後にあるもの、いわば音楽の性格をくっきり描き出そうとするもので、彼に続く世代のドイツの指揮者に大きな影響を及ぼした。

[岩井宏之]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ニキシュ」の意味・わかりやすい解説

ニキシュ
Nikisch, Artur

[生]1855.10.12. セントミクロシュ
[没]1922.1.23. ライプチヒ
ハンガリー生れのドイツの指揮者。ウィーン音楽院で作曲,バイオリンを学び,ウィーン宮廷劇場のバイオリニストとなったが,1878年ライプチヒ歌劇場副指揮者,82年同正指揮者に就任。以後ボストン交響楽団,ゲバントハウス管弦楽団,ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団,ロンドン交響楽団などの指揮者を歴任した。 20世紀初頭最大の指揮者。

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