ヌイツ(読み)ぬいつ(その他表記)Pieter Nuyts

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヌイツ」の意味・わかりやすい解説

ヌイツ
ぬいつ
Pieter Nuyts

生没年不詳。17世紀オランダ占領台湾の第3代長官。ノイツともいう。東インド総督府の員外参議員として1627年バタビアに渡り、ついで台湾長官となった。台湾に来航する日本貿易船との紛争解決の交渉のため、同年(寛永4)大使として来日したが、将軍徳川家光(いえみつ)への謁見を許されぬまま帰任。翌1628年、末次平蔵(すえつぐへいぞう)の船を統率して台湾に来航した浜田弥兵衛(やひょうえ)を抑留したが、逆に圧せられて和解した。この事件により、幕府は一時平戸(ひらど)のオランダ商館を封鎖し貿易を禁止したが、1632年総督がヌイツを事件責任者として日本に護送したことで事態は解決した。5年間の監禁ののち釈放されバタビアに帰ったヌイツは、責任を問われすべての地位・資産を奪われて本国送還となった。

沼田 哲]

『永積洋子訳『平戸オランダ商館の日記』(1969~1970・岩波書店)』『永積洋子、武田万里子著「平戸オランダ商館イギリス商館日記――碧眼のみた近世の日本と鎖国への道」(『日記記録による日本歴史叢書7』1981・そしえて)』

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改訂新版 世界大百科事典 「ヌイツ」の意味・わかりやすい解説

ヌイツ
Pieter Nuyts
生没年:1598-1655

オランダの台湾長官。1627年東インド会社の員外参事としてバタビアに渡り台湾長官に任ぜられる。日本船に課した輸出税につき説明するため,特使として来日。翌年台湾で末次平蔵船の船長浜田弥兵衛と紛争を起こし,貿易は中断したが,責任者として日本に送られて事件は解決した。後にバタビアで裁判になり,地位・資格を剝奪され,会社に与えた損害賠償金を支払って本国に帰った。
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朝日日本歴史人物事典 「ヌイツ」の解説

ヌイツ

没年:1655(1655)
生年:1598
オランダの台湾長官(1627~29)。オランダのミッデンブルフ生まれ。東インド会社の員外参事としてバタビアに赴任するが,すぐに台湾長官兼日本向け特使となり,寛永4(1627)年8月,台湾来航日本船との貿易協定のため江戸に参府する。だが,彼の身分,資格が問題となり,将軍徳川家光の拝謁を得ることなく帰任した。翌年,台湾に渡航した朱印船の浜田弥兵衛ら一行を捕らえ,日蘭貿易は断絶する(浜田弥兵衛事件)。ヌイツは事件の責任者として同9年,総督スペックスに日本に送られ,そのまま平戸で拘束された。同13年,家光への献上物が気に入られ事件は解決,ヌイツも許されバタビアに帰る。<参考文献>永積洋子『平戸オランダ商館の日記』

(小山幸伸)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ヌイツ」の解説

ヌイツ Nu'ijts, Pieter

1598-1655 オランダの台湾長官。
寛永4年貿易協定の交渉のため来日したが,将軍徳川家光にあえず失敗。翌年台湾で浜田弥兵衛と争いをおこし,9年東インド総督スペックスにより事件の責任者として日本におくられ,平戸に幽閉される。13年釈放されバタビア(ジャカルタ)にかえった。享年57歳。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヌイツ」の意味・わかりやすい解説

ヌイツ

「ノイツ」のページをご覧ください。

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