改訂新版 世界大百科事典 「名士会」の意味・わかりやすい解説
名士会 (めいしかい)
Assemblée des notables
大革命前のフランスで,国政に関する重要な問題を審議する必要があるときに臨時に召集された国王の諮問機関。同じ役割を担うものとして三部会があったが,三部会はしばしば国王の意に反する決定を行ったので,特に16世紀頃から,国王はこれに替えて名士会を召集することが多くなった。名士会は三部会と同じく聖職者・貴族・平民の三身分の代表者により構成されたが,構成員が各身分ごとの選挙によってではなく国王の指名によって選ばれる点で三部会と異なり,それだけ国王に従順であったからである。だが,名士会もまた,王権の伸張の結果,1626年の会議を最後として開かれなくなった。しかし,アンシャン・レジームの末期になると,国王政府は膨大な財政赤字に悩まされ,これを解決するための改革案も高等法院をはじめとする特権身分の反対により失敗に終わったため,最後の打開策を名士会の復活に求めた。1787年2月から開催されたこの名士会には,財務総監カロンヌによって,身分の区別なく土地所有者全員に課せられる地租の創設など一連の財政改革案が提出された。だが,カロンヌの予測に反して名士たちは改革案の承認を拒絶,逆に財政乱脈を理由としてカロンヌの罷免を要求し,さらに次の財務総監ブリエンヌの妥協的な改革案をも拒否したまま,同年5月解散した。最後の名士会は88年11月に召集された。窮地に立った王権は,特権貴族の要求を受け入れ89年5月に全国三部会を開くことを約束したが,財務総監ネッケルは,特権身分の力を抑えるために,三部会の投票を身分別ではなく頭数制で行うことをこの名士会に諮ったのである。しかし,この提案は特権貴族が過半を占める名士会の同意を得ることができず,王権の主導権喪失をいっそう強く印象づけた。こうして名士会の召集は,王権の意図とは逆に,かえって特権貴族を勢いづかせ,絶対王政の崩壊を早めることになった。
執筆者:林田 伸一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報