バイエル(読み)ばいえる(英語表記)Fredrik Bajer

日本大百科全書(ニッポニカ) 「バイエル」の意味・わかりやすい解説

バイエル(化学メーカー)
ばいえる
Bayer AG

ドイツの総合化学メーカー。かつては、BASF、ヘキスト(現サノフィ・アベンティス)とともにドイツ三大化学メーカーとよばれていた。

 自動車と並んで現代ドイツの主力産業である化学産業は、1860年代に主として染料工業を基礎に形成された。バイエルは1863年にアニリン染料の製造を目的に、フリードリヒ・バイエルFriedrich Bayer(1825―1880)とヨハン・フリードリヒ・ウェスコットJohann Friedrich Weskott(1821―1876)により設立された。その後、1881年に社名をファルベン・ファブリケンFarben Fabrikenと改称し、企業形態もそれまでの合名会社から株式会社へと変更した。1884年にC・デュースベルクCarl F. Duisbergが入社し、同社の発展に貢献するとともに、のちのイー・ゲー・ファルベンの成立に主導的役割を果たした。1888年には医薬品部門を創設、1899年にはアスピリンの開発、製造に着手するなど医薬品は染料と並ぶ重要部門となった。ドイツ化学産業にとっての一大転機は、1925年に実施された化学メーカー6社による大合同である。すなわち、バイエル、BASF、ヘキスト、アグフアなどの企業が統合されて、新会社イー・ゲー・ファルベンが設立された。イー・ゲー・ファルベンは、当時世界最大の化学メーカーとなり、第二次世界大戦終了時までドイツ経済の中枢的存在であったが、第二次世界大戦の敗戦により連合国の管理下に置かれ1951年に解体、バイエル、ヘキスト、BASFの実質3社に分割された。同年バイエルはファルベンファブリケン・バイエルとして再出発し、1972年、現社名に変更した。1981年、総合写真メーカーであるアグフア・ゲバルトを傘下に収めた(アグフア・ゲバルトは1999年に株式を上場して独立)。本社はノルトライン・ウェストファーレン州のレバークーゼンに置かれ、ここを中心に多数の工場群が形成されている。また、世界約150か国に子会社、代理店がある。

 2009年度の売上高は311億6800万ユーロ、純利益13億5900万ユーロ。売上構成はヘルスケア事業(医薬品等)グループ51.3%、農薬関連事業グループ20.9%、素材科学事業(高分子材料等)グループ24.1%。従業員数10万8400人。

[所 伸之]


バイエル(Fredrik Bajer)
ばいえる
Fredrik Bajer
(1837―1922)

デンマークの平和主義者。ネストベズ近郊に生まれる。兵学校卒業後、1864年に対プロイセン、オーストリアとの戦争に従軍、翌1865年除隊後、語学に励み、フランス語、ノルウェー語スウェーデン語を修得した。1872年に下院議員に選出され、以後23年間議員を務めた。この間、バイエルは国際平和、デンマークの中立、スカンジナビア団結、女性の権利拡張などに力を注いだ。デンマークの独立維持には中立しかないと考え、1882年デンマーク中立促進協会を設立、さらに国際平和運動でも活躍、1885年第1回スカンジナビア平和会議、1889年の列国議会同盟など、多くの国際会議に出席し、指導的役割を果たした。とくに1890年ロンドンで開かれた第2回世界平和会議では国際平和運動のための恒久的機関の設立を提唱。のちにこれが実現して国際平和局International Peace Bureauが設立され、その初代事務局長に任命された。このような努力が評価され、1908年にスウェーデンのアルヌルドソンとともにノーベル平和賞を受賞した。

[編集部]


バイエル(Ferdinand Beyer)
ばいえる
Ferdinand Beyer
(1803―1863)

ドイツのピアノ奏者、作曲家。クウェーアフルトに生まれ、サロン風ピアノ小品や管弦楽曲のピアノ用編曲で人気を得た。しかし今日では『バイエル・ピアノ教則本』Vorschule im Klavierspiel(作品101)によってのみ知られている。このいわゆる『バイエル』は、1880年(明治13)に音楽取調掛(とりしらべがかり)(東京芸術大学の前身)教師として赴任したアメリカ人のお雇い外国人教師L・W・メーソンによってピアノ教育に導入されて以来、とくに日本において初学者の教材として普及し、今日に至るまでピアノ入門期の代名詞といえるほどの地位を保っている教則本である。

[大久保一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バイエル」の意味・わかりやすい解説

バイエル
Bayer A.G.

ドイツの総合化学,製薬会社。1863年 F.バイエルらが創業した染料工場を前身に,1881年にフリードリヒ・バイエルとして会社設立。各種合成染料の製造のほか,1899年に開始したアスピリンなどの医療品の販売と,有力関連企業の吸収などにより発展。1925年ドイツの化学会社統合によってバスフヘキストなどとともにイー・ゲー・ファルベンに吸収されたが,第2次世界大戦後に解体され,1951年ドイツ連邦共和国(西ドイツ)でファルベンファブリーケン・バイエルとして再発足。1950年代後半には石油化学,合成ゴム分野にも進出して多角化を推進,肥料を除く全化学製品を手がけた。1972年現社名に変更。1981~99年,写真機,フィルムを製造するアグファ・ゲバルトを子会社化した。国外進出も積極的で,カナダ,ヨーロッパを中心にアメリカ合衆国,南アメリカ,トルコ,イラン,インドなど世界各国の子会社・関連会社を統轄する。1986年に診断装置メーカーのクーパー・テクニコンを買収。1990年にはカナダのアルベルタ・ノバのポリサーゴム事業を買収。2002年に子会社バイエルクロップサイエンスを設立。2018年,アメリカの化学企業モンサントを買収した。アスピリンをはじめとする大衆薬のほか,血友病治療薬,感染症防止薬,心臓疾患治療薬,糖尿病治療薬などを扱う。

バイエル
Bayer, Johann

[生]1572 ライン
[没]1625.3.7. アウグスブルク
ドイツの天文学者。著書『恒星測定学』Uranometria(1603)で,肉眼で見える恒星の命名法を定めた。1592年にインゴルシュタット大学に入学し哲学を学ぶ。のちにアウグスブルクに移り弁護士になったが,当時の多くの人と同様,天文学の進歩に強い興味をいだき,星図『恒星測定学』を出版した。1612年,アウグスブルク市議会の法律顧問に任命された。それまでの星図は,クラウディオス・プトレマイオスの 48星座を基準に描かれた不完全なものだった。バイエルはプトレマイオスの 48星座に,南天に新たにつくった 12星座を加え,ティコ・ブラーエが観察した星の位置・光度に基づき,星座中の肉眼で見える恒星すべてにギリシア文字(24文字)を順番にふった。24以上の恒星をもつ星座については,ギリシア文字が足りなくなるとローマ字を使った。バイエルが考案したこの命名法は今日も使用され,約 1300個の星にバイエル符号がつけられている。(→星座

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