日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヘキスト」の意味・わかりやすい解説
ヘキスト
へきすと
Hoechst AG
ドイツのフランクフルトに本社を置いていた総合化学会社。かつては、バイエル、BASFとともにドイツ三大化学メーカーとよばれていたが、1999年12月、フランスのローヌ・プーランと合併し、アベンティス(現サノフィ・アベンティス)となった。
ヘキストの前身は、1863年、フランクフルト・アム・マイン近郊のヘキストに合名会社マイスター・ルチウス社として誕生。赤色系染料フクシンの製造を手始めに、1869年からは同アリザリンの製造を開始。1880年に株式会社に改組し、その後株式を公開。1880年代末から解熱・鎮痛薬アンチピリン、ジフテリアおよび破傷風血清、麻酔剤などの製造に着手し、ドイツの染料会社として初めて医薬品部門に進出した。20世紀に入り、カレKalle、カッセラCassellaを傘下に収め、1925年の化学メーカー6社合同による新会社イー・ゲー・ファルベンの結成に参加。第二次世界大戦後の財閥解体後、1951年社長ウィンナッカーKarl Winnacker(1903―1989)のもとで再建を図る。1960年代に同国化学会社のなかでトップにたち、積極的な世界戦略で1975年には、一時アメリカのデュポンを抜いて世界最大の化学会社となった。1987年7月にはアメリカ・ヘキストを通じてアメリカ第2位の合成繊維メーカー、セラニーズ社を28億ドルで買収した。
ドイツ三大化学メーカーは、いずれも国際企業で、売上高に占める海外比率の高いことで知られており、ヘキストも海外売上比率が75%前後と非常に高い数値を示していた。世界的な化学製品の市況悪化のなかで、大手化学メーカーは従来の多角的な事業展開から、医薬などの生命科学分野と化学分野のどちらに軸足を置くか、厳しい選択を迫られる状況であった。ヘキストは前者に重点を置き、医農薬を事業の柱とする「生命科学(ライフサイエンス)メーカー」への脱皮を図り、1999年12月、フランスの大手化学メーカーであったローヌ・プーランと株式の公開買付による合併を果たし、生命科学メーカー「アベンティス」を設立した。ヘキストの1998年度の売上高は437億0400万マルクで、業界第5位であった。合併前の本社はヘッセン州フランクフルト・アム・マイン。従業員数は約9万7000人(1998)であった。
[湯沢 威・所 伸之]