日本大百科全書(ニッポニカ) 「染料工業」の意味・わかりやすい解説
染料工業
せんりょうこうぎょう
染料は天然染料と合成染料に二大別されるが、今日染料工業という場合は合成染料を製造する工業をさしている。染料工業は典型的な多品種少量生産で、ファイン・ケミカルに属し、企業規模は大小さまざまで、人件費の占める割合が大きい。原料および中間体の製造は、スケール・メリット(経営規模が大きいほど単価を安くできること)から、石油化学の巨大企業によって生産が行われている。用途は、繊維、食品、合成樹脂、紙、皮革、金属など広範囲だが、約7割が繊維向けで、繊維産業の動向に大きな影響を受ける。
[大竹英雄]
歴史的発展
天然染料は古代より19世紀の中ごろまで繊維染色の主流であったが、種類も少なく、純度や透明性に乏しく、染色法も複雑で長い経験を必要とし、求める色相(いろあい)に染色することが困難であるうえに、色があせるなど種々の問題点があった。
合成染料の工業生産の起源は、1856年イギリスのW・H・パーキンがコールタールから得たアニリンの硫酸塩を重クロム酸カリで酸化したところ、紫色の色素を生成し、これを翌1857年ロンドンで工業化したことにさかのぼる。発色のおこる反応機構は、1876年ドイツのO・N・ウイットの発色団説chromophor theoryや1888年イギリスのH・E・アームストロングのキノン型説などにより解明され、系統的な染料合成に画期的な示唆を与えた。また、ドイツでのコールタールの利用研究は、タール中にアカネの主成分アリザリンの原料であるアニリンや、藍(あい)の主成分インジゴの原料であるアントラセンの存在を確認し、これによりドイツでの工業化が急速に進められた。これは、当時国際的染料市場を独占していたフランスのアカネとインドの藍の生産に壊滅的打撃を与え、第一次世界大戦直前には、世界の合成染料生産高の90%を支配した。
19世紀末まで天然染料が主流であった日本も、ドイツからの合成染料の輸入により、徳島県産の藍をはじめとする天然染料は、その市場を失った。しかし第一次世界大戦によるドイツ染料の輸入途絶は染料開発を促進させ、日本の染料合成の端緒とされる三井鉱山三池工場のアリザリン・レッドの工業化を実現させた。政府は1915年(大正4)染料医薬品製造奨励法、1925年染料製造奨励法を公布し、国策会社日本染料製造株式会社を設立、多額の補助金交付で製品開発の助成を強化したものの、高級染料と人造藍はなお輸入が必要で、多くの染料は研究段階にとどまっていた。しかし染料合成の研究は、有機合成化学の技術的蓄積のなかった日本の化学工業にとって、近代的展開のために幾多の貴重な基礎的データを提供した。染料合成の原料となるベンゼン、アニリン、トルエン、ピクリン酸などは火薬工業の重要原料でもあり、染料工業は潜在的軍需工業として軍事費から多額の補助を受け、第二次世界大戦に至るまで驚異的発展を遂げた。しかし臨戦態勢が強化されるにつれ火薬工業へ傾斜し、染料生産は減退、終戦時には壊滅状態になった。
[大竹英雄]
第二次世界大戦後の動向と現状
合成繊維など繊維の多様化に伴い、第二次世界大戦前の硫化染料にかわり直接染料、酸性染料、媒染染料、ナフトール染料、建染(たてぞ)め染料など多彩な合成染料が出現、原料もコールタール系から石油化学系に転換された。とくに1950年代後半以降の高度成長期には外国技術が積極的に導入され、染料工業も飛躍的に向上、発展した。また、染色工程の簡素化や労務費の削減を目的とする新製品の開発が期待されていたが、染着性と鮮明度に優れた分散染料や、従来の染色機構とまったく異なる反応染料(繊維と染料の分子を化学的に結合)などが登場し、合成繊維の染着性の向上が図られ、合成繊維産業とともに発展した。輸出はアジア諸国の繊維産業の成長や、日本の繊維製品生産のアジアへの展開などに対応して徐々にその割合を高めたが、逆に繊維産業の国内市場が収縮したため、染料工業はアジアへ進出していった。
生産量は、1991年(平成3)の7万7114トンをピークに減少傾向をたどり、2004年以降3万トン台となったが、2008年10月以降の世界経済の停滞で、生産・供給・輸出入ともに減少し、2009年には1万8717トンとピーク時の4分の1にまで減少した。各種染料の生産量は直接染料(用途は木綿、レーヨン、絹、紙。以下同じ)が最大で、以下、分散染料(ポリエステル、ナイロン、アセテート)、反応染料(ナイロン、羊毛、絹)、有機溶剤溶解染料(非水溶性、ガソリン、石鹸(せっけん)、プラスチック、印刷インク)、蛍光染料(別名は蛍光増白剤。繊維、紙、プラスチック)の順となるが、直接・分散・反応染料の上位3者で6割を占めている。価格は、有機溶剤溶解染料がもっとも高く、もっとも安価なのは前者の3分の1以下の直接染料である。
2009年の合成染料全体の輸出量は7581トンであるが、有機溶剤溶解染料の場合、生産に対する輸出率が高い(64%)。この有機溶剤溶解染料と分散・反応染料の3種類で全輸出量の63%を占めている。輸出はアジアでの需要に対応して生産量の30%台を維持してきたが、国内需要が減少したため、2009年には40%となった。輸出地域は6割がアジア向けで、以下ヨーロッパ、アメリカの順である。
輸入量は1998年から輸出量を上回り、2005年からは生産量をも上回っている。2009年度の輸入2万8507トンは、国内需要4万1471トンの69%で、3分の2を輸入でまかなっている。最大の輸入染料は蛍光染料の1万4000トン(2009)であり、国内需要のほとんどを輸入に依存している。
2008年以降の世界景気の後退は、2009年の合成染料の需要と供給を収縮させ、生産量の多い分散・反応染料は前年度比50%程度生産量を減少させた。しかしインクジェット(インク噴射)向けの機能性色素に使用されている直接染料の減少は32%であった。成熟産業である日本の染料工業は、世界的な供給過剰や円高、繊維産業の中心がヨーロッパから中国を中心とするアジアに移る環境のなかで、合理化やアジアへの生産・販売拠点の移動などを進めてきた。しかし染料業界はファイン・ケミカルの一分野でもあり、技術の蓄積も行われている。2000年以降は機能性色素を中心として、有機EL(エレクトロルミネセンス)ディスプレー、色素増感太陽電池、コンピュータなどに用いる記録媒体(CDやDVDなど)分野、液晶・プラズマディスプレーのための偏光フィルムなど、繊維染色以外の電子機器分野での新たな市場形成が期待されている。一方染料業界の反応生成物には環境汚染物質や危険物質が多く、2003年に施行された「土壌汚染対策法」など環境対策への対応が必要となり、取り巻く環境は厳しくなっている。ヨーロッパ連合(EU)では化学物質管理のため、2007年にREACH(リーチ)規則(化学物質の登録、評価、認可および制限に関する規則)が施行されたことにより、化学物質について、年間1トン以上の製造や輸入がある事業者は、その登録が義務づけられ、さらに使用を制限されるべき物質の使用には許可手続も必要となった。このため輸出企業は、取引関係者のために含有物質の分析やその情報提供などさまざまな対応が必要となっている。
[大竹英雄]
『矢毛石栄造編『日本タール工業史』(1965・日本タール協会)』▽『浅原照三他編『新しい合成化学7 新しい染料・顔料』(1965・共立出版)』▽『堀口博著『綜説合成染料』(1968・三共出版)』▽『横手正夫・芝宮福松著『合成染料』(1968・日刊工業新聞社)』▽『江崎正直編著『色材の小百科』(1998・工業調査会)』▽『化学工業日報社編・刊「2010年版 化学工業白書」(月刊『化学経済』2010年8月号)』▽『田島慶三著『「ケミカルビジネスエキスパート」養成講座――新「化学産業」入門』(2010・化学工業日報社)』▽『化学工業日報社編・刊『化学工業年鑑』各年版』