広くは考え方と生き方において,宗教的権威から自由であろうとする者をいい,この意味ではエピクロスやルクレティウスなど,古代ギリシア・ローマの哲学者から18世紀の啓蒙思想家たち,さらには19世紀フランスのコント,ルナンなどや19世紀ドイツのフォイエルバハ,D.F.シュトラウス,マルクスなどをも自由思想家に数えることができる。しかし通常は,特に17世紀フランスの〈リベルタンlibertin〉と17世紀末,18世紀初めのイギリスの〈フリー・シンカーfree thinker〉を指すことが多い。
リベルタンとは17世紀のフランスでルネサンス思想と啓蒙思想をつなぐ役割を果たした作家,思想家をいう。そもそもこの語は17世紀には〈不信仰者〉と〈放蕩者〉という二重の意味をもち,事実,宗教批判者であると同時に放縦な生活を送ったリベルタンもいたが,そのどちらかでしかない者も多くいた。また思想的にもその傾向はきわめて多様であったが,大別して次の四つのタイプに分類することができよう。まず17世紀初めに詩人ビヨーは16世紀のイタリア・ルネサンス思想の影響の下に,同じ一つの宇宙霊魂が物質と結合して人間をはじめ万物を形成するというアニミズム的宇宙論を展開して個々の人間の霊魂の不死を否定し,また神の摂理をも否定して星辰すなわち宿命,必然にもてあそばれる人間のペシミズムを歌った。このルネサンス思想はその後詩人トリスタン・レルミットTristan L'Hermiteや,〈リベルタンの王〉デ・バローJ.V.Des Barreauxを経て世紀中ごろのシラノ・ド・ベルジュラックにまで影響を与えたが,シラノはまた近代科学の地動説,ガッサンディの原子論,デカルトの自然学など新しい要素をも加えて神なき唯物論のさまざまな形態を模索した。17世紀前半には,この流れとは別に,モンテーニュやシャロンの影響をうけた人文学者リベルタン,たとえば懐疑主義者のラ・モト・ル・バイエF.de La Mothe le Vayerや批判的合理主義者ノーデG.Naudéらがいて,宗教は人間の無知や恐怖から生まれた迷妄であり,またつねに為政者による人民統治の道具に利用されたとする宗教批判を展開した。
ついで17世紀後半から世紀末にかけては,上記の二人の友人で,禁断のエピクロスの思想を復活させた哲学者ガッサンディの影響の下に,メレA.G.chevalier de Méré,サン・テブルモンC.de Saint-Évremond,ランクロN.de Lenclos,ショーリューG.A.abbé de Chaulieuなど多くのリベルタン,エピキュリアンが登場して,この地上で幸福に生きる道を探求した。そして最後に17世紀末にはデカルト派リベルタン,フォントネルが出て,理性によって明晰判明に把握できないものは真ではないとするデカルトの〈方法〉を宗教批判の武器に転化し,18世紀的精神の先駆となった。ついで自由思想は18世紀の啓蒙思想に流れこむ(たとえばフォントネルはモンテスキューの敬愛する師であったし,ボルテールはエピキュリアンの詩人ショーリューの弟子として出発した。またディドロやドルバックのダイナミックな唯物論の遠い淵源をシラノに求めることもできるし,人文学者リベルタンの宗教批判は18世紀にもしばしば繰り返された)。そしてそれはまさに時代の主潮となるが,啓蒙思想のにない手たちはもはやリベルタンではなく〈哲学者(フィロゾーフphilosophe)〉と呼ばれることになるだろう。
つぎにフリー・シンカーとは17世紀末,18世紀初めのイギリスに輩出した理神論者で,超自然的な啓示によらず,人間本来の理性に基づく〈自然宗教natural religion〉を説き,あるいは聖書に記されている預言や奇跡などの非合理的要素を人間理性による検証にゆだねようとした。〈イギリス理神論の父〉チャーベリーのハーバートHerbert of CherburyやブラウントC.Blountにつづくトーランド,コリンズJ.A.Collins,M.ティンダル,シャフツベリー,ボーリングブルック,ウールストンT.Woolstonらがそれで,フランスの啓蒙思想家(たとえばボルテール)など,以後の理神論者に大きな影響を与えた。
→啓蒙思想
執筆者:赤木 昭三
インドでは,仏教が興起したころ(前6~前5世紀),東インド,ガンガー(ガンジス川)中流域につぎつぎと現れた,反ないし非バラモン教の宗教思想家たちのことを,しばしば自由思想家という。その代表者は,道徳無用論を唱えたプーラナ・カッサパ,七要素説を唱えたパクダ・カッチャーヤナ,徹底的な運命論を唱えたマッカリ・ゴーサーラ,死後に霊魂は存続しないとする唯物論を唱えたアジタ・ケーサカンバリン,懐疑論を唱えたサンジャヤ・ベーラッティプッタ,不定相対主義を唱え,ジャイナ教を開いたニガンタ・ナータプッタ(本名バルダマーナ。尊称マハービーラ,ジナ),仏教を開いたゴータマ・ブッダ(以上すべてパーリ語表記)などである。前6者は,仏教からは〈六師外道〉と呼ばれている。また,仏教によれば,この六師の学説(見)を含めて,〈六十二見〉がそのころ栄えていたという。当時,バラモン文化の中心は今日のデリーのあたりにあったが,商業,工業,農業の中心地は,ガンガー中流域にあった。そこでは,すでに貨幣経済が深く浸透し,豊かな穀倉地帯を背景に,ギルドに似た同業者組合を形成していた商工業者が社会の実権を握っていた。さらに,その力を基礎にして,マガダ国など,強大な国家が成長していった。この地方にあって,バラモンの社会的発言力はきわめて低いものとなったのである。こうした社会状況を反映して,宗教思想の面でも,バラモンを頂点とした階級制度のもとに施行されるバラモン教祭式主義に反する潮流が大きく台頭してきたのである。
執筆者:宮元 啓一
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一般的には、宗教的諸問題を既成の教会の権威から自由に理性によって吟味する思想家たちをさす。先駆的にはイタリアの人文主義者たちも含まれるが、歴史的には17~18世紀のイギリス理神論者とその影響を受けたフランスとドイツの理神論者たちをさす。イギリスでは、ハーバート、ティロットソン、トーランド、コリンズ、ティンダルなどが代表者である。とりわけ『自由思想論』でコリンズが詳細に説き、この名称を有名にした。彼らによれば、キリスト教は自然宗教として徹底的に理性の明証のうえに確立されるし、されねばならず、奇跡などは否定される。また既成宗教は歴史的に僧侶(そうりょ)によって歪曲(わいきょく)されているとして、これを攻撃した。フランスではボルテール、ディドロら百科全書派の人々が属し、さらに急進的な無神論へと進んだ。ドイツではレッシング、カントらがおり、アメリカではフランクリンらがヨーロッパ自由思想の影響を受けた。
[小池英光]
…通常用いられる原始仏教という時代区分より,やや狭義のニュアンスがあるように思われる。 釈迦の時代のインドは,鉄器の利用により農産物が豊富になり富裕な商工業者が現れ,社会は爛熟し,旧来のベーダ,ウパニシャッドに基づくバラモン教に疑問をもつ自由思想家が多く輩出し,釈迦もその中の一人であった。その教義は,中道,四諦(したい),八正道,縁起,無我の諸説にまとめうる。…
…その後,前500年ころまでに主要なベーダ聖典が編纂され,バラモン階級を頂点とするバラモン教の全盛時代を迎えた。しかし前500年ころになると,社会的大変動を背景に,反バラモン教的自由思想家が輩出し,仏教,ジャイナ教が成立した。まだ仏教が宗教・思想界の主流をなしていた前2~後3世紀ころ,ベーダ文化の枠組みが崩壊して,バラモン教が土着の非アーリヤ的民間信仰,習俗などの諸要素を吸収し,大きく変貌を遂げてヒンドゥー教が成立するにいたった。…
…ジャイナ教の開祖。仏教の釈迦と同時代に活躍した当時の代表的な自由思想家の一人。生没年は前599‐前527年,前598‐前526年の伝統説と,前549‐前477年,前539‐前467年,前444‐前372年の近代の学者の諸説がある。…
※「自由思想家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
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