ビュフォン(その他表記)Buffon, Georges-Louis Leclerc, Comte de

デジタル大辞泉 「ビュフォン」の意味・読み・例文・類語

ビュフォン(Georges-Louis Leclerc Buffon)

[1707~1788]フランス博物学者・啓蒙思想家。1749年より大著博物誌」を刊行進化論先駆者とみなされる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ビュフォン」の意味・わかりやすい解説

ビュフォン
Buffon, Georges-Louis Leclerc, Comte de

[生]1707.9.7. モンバール
[没]1788.4.16. パリ
フランスの博物学者。啓蒙思想家としても知られる。初め法律を学んだが,のち医学,植物学数学を学び,イタリアに旅行。確率論の研究が認められ,26歳で科学アカデミー副会員。 1739年パリの王立植物園園長に任命され,終生その地位にあった。フランス学士院,ロンドン・ロイヤル・ソサエティ,ベルリンアカデミー,ペテルブルグ科学アカデミー各会員。 S.ヘールズ,I.ニュートン書物を翻訳するとともに,実験科学の方法論を体系的に展開,自然科学における経験的基礎の重要性を説いた。また大著『博物誌』 (または『自然誌』) Histoire naturelle,générale et particulière (44巻,1749~1804) では,従来聖書からの推定によって 6000年ぐらいとされていた地球の年齢を,8万年以上と唱えて話題をまき,天変地異説を否定し,自然は動植物の種を含めて徐々に変化をとげると考えて,のちの進化論形成に影響を与えた。またニュートンの万有引力法則形式をめぐって,法則の単純性を主張して,厳密な逆2乗の形式を支持するビュフォンと,付加項の必要を唱えた A.C.クレローとの論争 (49) は有名である。 53年アカデミー・フランセーズ会員,入会の記念講演『文体論』 Discours sur le styleにおいて文体を思想の秩序と運動と定義した。

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改訂新版 世界大百科事典 「ビュフォン」の意味・わかりやすい解説

ビュフォン
Georges-Louis Leclerc,comte de Buffon
生没年:1707-88

フランスの博物学者,思想家。ディジョン高等法院評定官の子としてモンバールに生まれ,はじめ法律を,ついで医学,植物学を学んだ。1739年王立科学アカデミー会員に選ばれるとともに王立植物園(ジャルダン・デ・プラント)の園長に任命され,以後は1年のうち冬の4ヵ月をパリで園の拡充に尽くし,のこりをモンバールの領地で,主として畢生の大作《博物誌》の執筆にささげるという規則正しい生活をつづけた。1753年にはアカデミー・フランセーズの会員にも選ばれ,栄光に包まれてパリで没した。1749-89年に刊行された《博物誌》36巻は地球の歴史,生命の発生,人間,動物,鉱物を詳細に記述した大著で,18世紀の自然に関する知の総合として全ヨーロッパでひろく読まれた。また動物の各種に固有の特徴を具体的かつ的確に叙述するため,表現,文体にも苦心したといわれ,すぐれた文学作品としても愛読された。ほかに〈文は人なり〉の一句で有名な《文体論》(アカデミー・フランセーズへの入会演説)がある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ビュフォン」の意味・わかりやすい解説

ビュフォン
びゅふぉん
Georges Louis Leclerc de Buffon
(1707―1788)

フランスの博物学者、啓蒙(けいもう)思想家。ブルゴーニュのモンバールの富裕な家庭に生まれる。イギリスでの自然科学の急激な発展に注目し、1年間イギリスに渡り、数学、物理学、植物学を学んだ。帰国後ニュートンの微積分学などを翻訳したりしていたが、1739年以後パリの王立植物園(フランス革命後は自然博物館)の管理者となり、博物学に関心をもつに至った。

 1749年から、多くの共同執筆者の協力を得て膨大な『博物誌』の刊行を始め、彼の死後追加されたものを入れると44巻にも上った。このなかで彼は、「類人猿は人間の未発達の状態あるいは退化したもの」といった進化を示唆するようなことを述べているところから進化論の先駆者とみなされることがある。また、地球の年齢を、聖書に書かれているよりはるかに長く想定し、神学者の非難を受けると、これを取り消している。

[真船和夫]

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百科事典マイペディア 「ビュフォン」の意味・わかりやすい解説

ビュフォン

フランスの博物学者。英国に留学。数学,物理学,植物学等を学び,のちにパリの王立植物園長となる。当時の啓蒙思想家の一人。36巻に及ぶ大著《博物誌》(死後に追補されて44巻となる)は,18世紀の自然学の集大成として広く読まれた。また,そこで生物進化の可能性を示唆した。他に《文体論》がある。
→関連項目ニーダムラマルク

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ビュフォン」の解説

ビュフォン
Georges Louis Leclerc, comte de Buffon

1707~88

フランスの博物学者,文学者。科学者としては『博物誌』を編纂し,またフランスの『百科全書』中の「自然」の項を執筆した。啓蒙思想家の一巨頭であり,文学者としては『文体論』を著している。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ビュフォン」の解説

ビュフォン
Georges Louis Leclerc, Comte de Buffon

1707〜88
フランスの博物学者
王立植物園長として大作『博物誌』を編纂。進化論思想の先駆者で,啓蒙思想家として『百科全書』にも執筆した。

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世界大百科事典(旧版)内のビュフォンの言及

【啓蒙思想】より

…チュルゴー,コンドルセらにその典型的な表現がみられる。レッシングらにおいて,人類史を開化に向けての人類の教育と見る考え,またビュフォンらにおいて人類をも一環とした,より包括的な自然の歴史,生命の歴史への関心が見られることは注目に値する。啓蒙の歴史哲学の普遍主義的な一面性は,ヘルダー以下ロマン主義以降の歴史主義の個性尊重の思潮の中で批判されることとなる。…

【自然誌】より

…ベーコン自身は膨大な自然誌の草稿を残したが個人では完成できず,その夢は18世紀フランスの《百科全書》で実現した。同じころパリ王立植物園長だったビュフォンが36巻におよぶ《博物誌》を刊行,進化思想で系統づけた自然誌を出した。以後は,知識がふえて内容が膨大になるのと数学的科学が自然科学の中心になったので,自然誌は百科事典にその役割をゆずった。…

【ジャルダン・デ・プラント】より

…その後なん代かして,ブロスのおいファゴンG.C.Fagon(1638‐1718)が園長になると,J.P.deトゥルヌフォール,アントアーヌ・ド・ジュシューAntoine de Jussieu(1686‐1758)らの学者がここで研究を行い植物分類学研究の中心地となった。さらに1739年にはヨーロッパ中に名声を馳せたG.L.L.ビュフォンが園長となり,その後半世紀にわたりその地位にあった。この間に園の拡張が行われ,81年には,ほぼ現在と同じ規模をもつようになった。…

【進化論】より

…18世紀的唯物論がこれに加わる。モーペルテュイ,ビュフォン,ディドロ,ドルバックらが主要な進化思想家としてあげられる。モーペルテュイとビュフォンが,ボルテールとならんでフランスへのニュートン力学の紹介者であることは,この力学がフランス思想に自然の合則性の観念を直接培って,進化観念の土台を準備したことを示している。…

【ダーウィン】より

…著書《植物の園》(1789,91),《ゾーノミア》(1794,96),《自然の殿堂》(1803)に進化思想が現れている。フィラメント状の生命がかつて一度だけ海に生じて,漸次,種々の生物に発達したとし,G.L.L.deビュフォンの影響がうかがえる。詩作はロマン派詩人に影響を与えた。…

【博物学】より

…18世紀から19世紀にかけて,折からの帝国主義の台頭に合わせて,珍奇な動植物や未知の秘境を求めて多くの探検旅行が組織され,膨大な量の博物学的知識が蓄積された。やがてビュフォンの《自然誌》,カントとラプラスの太陽系起原論,ライエルの《地質学原理》,ラマルクとC.ダーウィンの生物進化論などの相次ぐ発展によって,これら多様な自然物(のみならず自然全体)は歴史的に形成されたものであるという認識が加えられて,博物学は自然史学としての性格も併せもつようになった。そして19世紀半ば以降,自然の多様性の研究は単なる記載・分類の学ではなくなった。…

【不老不死】より

… 18世紀に入るとヨーロッパでは科学的に不老不死を探究する人々が出てきた。まずビュフォンは《博物誌》の中で,ファウスト伝説のような不死者が医学的に存在しえないことを指摘し,科学的長寿法をもとめることが新しい科学の課題の一つであると主張した。イギリスではE.ダーウィンが《ゾーノミア》を書き,老化現象を肉体の反応機能の鈍化とみなして,興奮や緊張など過度な肉体反応を控える生活を長寿の秘訣とした。…

【モンテカルロ法】より

…本来は,確率的な変動要因を含まない問題を解くのに確率論的な手法(乱数)を使う方法に対して与えられた名称であるが,現在では乱数を使う方法の総称として使われることが多い。 実用的ではないが,古典的で有名な例としては,G.L.L.ビュフォンの針の問題がある。図のように等間隔(間隔a)に並んだ平行線群の上に長さlの針をN回落とし,針が平行線と交わった回数nを数えるという実験を行う。…

※「ビュフォン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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