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フランスの博物学者,思想家。ディジョン高等法院評定官の子としてモンバールに生まれ,はじめ法律を,ついで医学,植物学を学んだ。1739年王立科学アカデミー会員に選ばれるとともに王立植物園(ジャルダン・デ・プラント)の園長に任命され,以後は1年のうち冬の4ヵ月をパリで園の拡充に尽くし,のこりをモンバールの領地で,主として畢生の大作《博物誌》の執筆にささげるという規則正しい生活をつづけた。1753年にはアカデミー・フランセーズの会員にも選ばれ,栄光に包まれてパリで没した。1749-89年に刊行された《博物誌》36巻は地球の歴史,生命の発生,人間,動物,鉱物を詳細に記述した大著で,18世紀の自然に関する知の総合として全ヨーロッパでひろく読まれた。また動物の各種に固有の特徴を具体的かつ的確に叙述するため,表現,文体にも苦心したといわれ,すぐれた文学作品としても愛読された。ほかに〈文は人なり〉の一句で有名な《文体論》(アカデミー・フランセーズへの入会演説)がある。
執筆者:赤木 昭三
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フランスの博物学者、啓蒙(けいもう)思想家。ブルゴーニュのモンバールの富裕な家庭に生まれる。イギリスでの自然科学の急激な発展に注目し、1年間イギリスに渡り、数学、物理学、植物学を学んだ。帰国後ニュートンの微積分学などを翻訳したりしていたが、1739年以後パリの王立植物園(フランス革命後は自然博物館)の管理者となり、博物学に関心をもつに至った。
1749年から、多くの共同執筆者の協力を得て膨大な『博物誌』の刊行を始め、彼の死後追加されたものを入れると44巻にも上った。このなかで彼は、「類人猿は人間の未発達の状態あるいは退化したもの」といった進化を示唆するようなことを述べているところから進化論の先駆者とみなされることがある。また、地球の年齢を、聖書に書かれているよりはるかに長く想定し、神学者の非難を受けると、これを取り消している。
[真船和夫]
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1707~88
フランスの博物学者,文学者。科学者としては『博物誌』を編纂し,またフランスの『百科全書』中の「自然」の項を執筆した。啓蒙思想家の一巨頭であり,文学者としては『文体論』を著している。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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…チュルゴー,コンドルセらにその典型的な表現がみられる。レッシングらにおいて,人類史を開化に向けての人類の教育と見る考え,またビュフォンらにおいて人類をも一環とした,より包括的な自然の歴史,生命の歴史への関心が見られることは注目に値する。啓蒙の歴史哲学の普遍主義的な一面性は,ヘルダー以下ロマン主義以降の歴史主義の個性尊重の思潮の中で批判されることとなる。…
…ベーコン自身は膨大な自然誌の草稿を残したが個人では完成できず,その夢は18世紀フランスの《百科全書》で実現した。同じころパリ王立植物園長だったビュフォンが36巻におよぶ《博物誌》を刊行,進化思想で系統づけた自然誌を出した。以後は,知識がふえて内容が膨大になるのと数学的科学が自然科学の中心になったので,自然誌は百科事典にその役割をゆずった。…
…その後なん代かして,ブロスのおいファゴンG.C.Fagon(1638‐1718)が園長になると,J.P.deトゥルヌフォール,アントアーヌ・ド・ジュシューAntoine de Jussieu(1686‐1758)らの学者がここで研究を行い植物分類学研究の中心地となった。さらに1739年にはヨーロッパ中に名声を馳せたG.L.L.ビュフォンが園長となり,その後半世紀にわたりその地位にあった。この間に園の拡張が行われ,81年には,ほぼ現在と同じ規模をもつようになった。…
…18世紀的唯物論がこれに加わる。モーペルテュイ,ビュフォン,ディドロ,ドルバックらが主要な進化思想家としてあげられる。モーペルテュイとビュフォンが,ボルテールとならんでフランスへのニュートン力学の紹介者であることは,この力学がフランス思想に自然の合則性の観念を直接培って,進化観念の土台を準備したことを示している。…
…著書《植物の園》(1789,91),《ゾーノミア》(1794,96),《自然の殿堂》(1803)に進化思想が現れている。フィラメント状の生命がかつて一度だけ海に生じて,漸次,種々の生物に発達したとし,G.L.L.deビュフォンの影響がうかがえる。詩作はロマン派詩人に影響を与えた。…
…18世紀から19世紀にかけて,折からの帝国主義の台頭に合わせて,珍奇な動植物や未知の秘境を求めて多くの探検旅行が組織され,膨大な量の博物学的知識が蓄積された。やがてビュフォンの《自然誌》,カントとラプラスの太陽系起原論,ライエルの《地質学原理》,ラマルクとC.ダーウィンの生物進化論などの相次ぐ発展によって,これら多様な自然物(のみならず自然全体)は歴史的に形成されたものであるという認識が加えられて,博物学は自然史学としての性格も併せもつようになった。そして19世紀半ば以降,自然の多様性の研究は単なる記載・分類の学ではなくなった。…
… 18世紀に入るとヨーロッパでは科学的に不老不死を探究する人々が出てきた。まずビュフォンは《博物誌》の中で,ファウスト伝説のような不死者が医学的に存在しえないことを指摘し,科学的長寿法をもとめることが新しい科学の課題の一つであると主張した。イギリスではE.ダーウィンが《ゾーノミア》を書き,老化現象を肉体の反応機能の鈍化とみなして,興奮や緊張など過度な肉体反応を控える生活を長寿の秘訣とした。…
…本来は,確率的な変動要因を含まない問題を解くのに確率論的な手法(乱数)を使う方法に対して与えられた名称であるが,現在では乱数を使う方法の総称として使われることが多い。 実用的ではないが,古典的で有名な例としては,G.L.L.ビュフォンの針の問題がある。図のように等間隔(間隔a)に並んだ平行線群の上に長さlの針をN回落とし,針が平行線と交わった回数nを数えるという実験を行う。…
※「ビュフォン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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