ファルツ戦争(読み)ファルツせんそう

改訂新版 世界大百科事典 「ファルツ戦争」の意味・わかりやすい解説

ファルツ戦争 (ファルツせんそう)

ルイ14世によって企てられた一連の侵略戦争フランドル戦争オランダ戦争,スペイン継承戦争)のひとつで,1688年から97年にかけて行われた。アウグスブルク同盟戦争とも呼ばれる。神聖ローマ帝国公領であり,アルザス北方に位置するファルツ公家に男子相続者が絶えると,ルイ14世は,弟オルレアン公の妃が同家の出身であることを口実として領土を要求,ファルツに出兵した。折しもイギリス,オランダ両国は,イギリス名誉革命によって国王に迎えられたウィリアム3世(ルイ14世の宿敵で,オランダ共和国長官を兼ねる)の正統性をめぐり,先王ジェームズ2世を支持するルイ14世と対立していたから,ドイツ皇帝やフランスの勢力拡大を嫌うスペイン,スウェーデンなどのヨーロッパ諸国と結び,対仏大同盟を結成した。戦闘はドイツ,北イタリア,ネーデルラントアイルランドで展開され,また同時期にフランスとイギリスは,東インドと北アメリカで植民地獲得をめぐって激しい戦いを繰り広げた(北アメリカでの戦争はウィリアム王戦争と呼ばれる)。フランスは当初優勢であったが,同盟国側の包囲陣の前に次第に劣勢となり,97年ライスワイクの和約を結んだ。この結果,フランスは,ストラスブール領有は認められたものの,ロレーヌルクセンブルク,フランドル諸都市,ニースなど戦争中の占領地の大部分の返還を余儀なくされ,ウィリアム3世の正統君主権も認めた。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ファルツ戦争」の意味・わかりやすい解説

ファルツ戦争
ファルツせんそう
Pfälzischer Erbfolgekrieg; War of League of Augsburg

アウクスブルク同盟戦争,大同盟戦争とも呼ばれる。フランス王ルイ 14世のファルツ領割譲の要求に端を発し,1689~97年に行われた国際戦争。アルザス北部のファルツ伯家に男系が絶えると,ルイ 14世は弟オルレアン公の妃が同家の出であるのを理由に領土を要求,これを恐れた神聖ローマ皇帝,バイエルン,ザクセンなどのドイツ諸侯,スペイン,オランダ,スウェーデン諸王はアウクスブルク同盟を結んで反対し,名誉革命後のイギリスやサボイアも参加,戦争はフランスのファルツ侵入で開始され,アメリカ植民地にも戦闘は拡大した。ファルツではフランス軍が徹底的な破壊戦争を展開,ドイツ,ネーデルラントも戦場となって荒され,フランス国民も負担に苦しんだ。ルイ 14世は戦線が膠着するのをみて,外交交渉によって同盟側の足並みを乱そうと考え,神聖ローマ皇帝軍の前戦司令官であったサボイア公ビットリオ・アメデオ2世と単独講和を締結。その結果同盟側の団結はくずれ,97年ライスワイク条約でフランスに若干有利な条件を取決め,戦いは終結した。なお,この戦争をドイツでは「オルレアン戦争」,イギリスでは「九年戦争」と呼称している。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「ファルツ戦争」の意味・わかりやすい解説

ファルツ戦争【ファルツせんそう】

アウクスブルク同盟戦争とも。1688年―1697年,神聖ローマ帝国の公領ファルツPfalzの相続問題を機にフランス国王ルイ14世がアウクスブルク同盟(英・独・オランダ・スペイン・スウェーデン等)と行った戦争。初めは同地に進入したフランスが優勢であったが,1692年以後振るわず,ライスワイク条約で終結。
→関連項目英仏植民地戦争ファルツ

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「ファルツ戦争」の解説

ファルツ(継承)戦争
ファルツ(けいしょう)せんそう
Phalz

1689年から97年にかけて行われた,ドイツのファルツ選帝侯領に対するルイ14世の侵略戦争
ファルツ選帝侯カールの死後,ルイ14世は王弟妃の継承権を主張して領土を要求し,ドイツ皇帝はオランダ・イギリス・スペイン・バイエルン侯らとアウグスブルク同盟を結成して対抗。戦局は北アメリカでもウィリアム王戦争として展開したが,1697年ライスワイクで和を結び,フランスはほとんど得るところなく戦争を終えた。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ファルツ戦争」の解説

ファルツ戦争(ファルツせんそう)

プファルツ戦争

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のファルツ戦争の言及

【三十年戦争】より

…これが戦争の発端である。
[ボヘミア・ファルツ戦争(1618‐23)]
 ボヘミアの反乱軍にはオーストリアの新教徒も味方して蜂起し,トランシルバニア(ジーベンビュルゲン)侯も皇帝に反旗をひるがえして,反乱はボヘミア外にも拡大したが,その渦中の1619年に皇帝マティアスが死亡して,フェルディナント2世が皇帝位につくと,ボヘミア議会はフェルディナントのボヘミア王位を取り消して,新教連合の指導者ファルツ選帝侯フリードリヒ5世を国王に選んだ。このため戦争のドイツ全域への波及は不可避の形勢となったが,フリードリヒ5世がカルバン派であったことが災いして,多くの新教派諸侯の援助をうることができず,当時スペイン接近をはかっていた義父のイギリス王ジェームズ1世も動かなかった。…

【ファルツ】より

…その間宗教改革が行われて新教が導入され,ファルツ選帝侯は一時期新教陣営で力をもったが,三十年戦争のはじめボヘミア国王に選ばれたファルツ選帝侯フリードリヒ5世(冬王)(在位1610‐23)がビーラー・ホラの戦(1620)で神聖ローマ皇帝軍に敗れ,ファルツからヨーロッパ的権力が生まれる道は閉ざされた。1688‐97年ファルツ戦争でフランスのルイ14世の侵攻を受け,ファルツの国土は荒廃する。フランス革命とナポレオンの時代,ライン左岸のファルツはフランス領となり,右岸のファルツは近隣諸国に併合された。…

※「ファルツ戦争」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

世界の電気自動車市場

米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...

世界の電気自動車市場の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android