フィグネル(その他表記)Vera Nikolaevna Figner

改訂新版 世界大百科事典 「フィグネル」の意味・わかりやすい解説

フィグネル
Vera Nikolaevna Figner
生没年:1852-1942

ロシアの女性革命家,社会運動家。森林監督官をしていた貴族の娘として生まれ,カザンの女子学院を経て,1870年に結婚した夫,妹リジアとともにチューリヒ大学医学部に留学した。友人や妹の影響で革命運動に献身するつもりで75年帰国。村の補助医として農民工作を行ったが行きづまり,79年,人民の意志派執行委員会に加入,皇帝アレクサンドル2世暗殺の企てに参加した。81年の暗殺成功後,執行委員会の国内唯一の代表として活動したが,83年逮捕された。死刑を宣告されたが,終身刑に減刑され,84年より1904年までシリッセルブルグ要塞監獄で独房生活を送った。釈放後はしばらく郷里に住んだが,1906年国外に赴き,エス・エル党に入った。アゼフの裏切りが明らかになったあと政治からは身をひき,政治犯救援運動をはじめた。15年帰国し,17年の二月革命後は出獄政治犯の救援運動を行い,十月革命後はソビエト政権下の政治犯救援運動を応援した。クロポトキン記念委員会委員長として民営のクロポトキン博物館の管理に責任をもっていた。《忘れえぬことども》2巻(1921-22)など回想を多く著し,著作集は全7巻をかぞえる。1930年代にはスターリンにあてて粛清に抗議する手紙を書いた。第2次世界大戦独ソ戦でも疎開せず,モスクワで死んだ。
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百科事典マイペディア 「フィグネル」の意味・わかりやすい解説

フィグネル

ロシアの女性革命家,社会運動家。森林監督官をつとめる貴族の家に生まれ,1870年に結婚。夫と妹リジアとともにチューリヒ大学医学部に留学するが,友人や妹の影響で革命運動に志し,1875年帰国,村の補助医として農民工作を行う。1879年革命組織〈人民意志〉派が結成されると,その執行委員会に参加。テロ活動により帝政打倒,社会主義の樹立を目指すという主張のもとで,1881年皇帝アレクサンドル2世の暗殺に荷担した。1883年逮捕され死刑を宣告されるが,終身刑に減刑されて1904年まで独房生活を送った。釈放後しばらく郷里で過ごした後,1906年国外に出て,革命政党エス・エル党に入る。1908年に党幹部アゼフの裏切りが明らかになると政治から身を引き,政治犯の救援運動を始め,1915年に帰国。1917年の革命後もソビエト政権下の政治犯救援運動を支援した。《忘れえぬことども》2巻(1921年−1922年)など回想録を多く残している。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フィグネル」の意味・わかりやすい解説

フィグネル
Figner, Vera Nikolaevna

[生]1852.7.7. カザン
[没]1942.6.15. モスクワ
ロシアの女性革命家。ナロードニキの「人民の意志 (党)」に属し,皇帝アレクサンドル2世暗殺を企てた。 1883年逮捕され,シリュッセリブルグ監獄で 20年間過した。 1906年許されて国外に出,社会革命党 (エス・エル) に加わったが,15年ロシアに戻り,晩年は文筆活動に従事した。回想記『忘れえぬ事業』 Zapechatlënnyi trud (2巻,1921~22) がある。

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