20世紀日本人名事典 「宮嶋資夫」の解説
宮嶋 資夫
ミヤジマ スケオ
- 生年
- 明治19(1886)年8月1日
- 没年
- 昭和26(1951)年2月19日
- 出生地
- 東京・四谷伝馬町
- 本名
- 宮嶋 信泰
- 経歴
- 四谷小学校高等科に学び、13歳から砂糖問屋の小僧など多くの仕事を転々とし放浪生活をする。のち都新聞編集員となり、大杉栄らの「近代思想」に共鳴。のち大正4年復刊された「近代思想」の発行人となる。5年労働文学の先駆的作品「坑夫」を刊行。9年「恨なき殺人」を刊行、また雑誌「労働者」発行、評論「第四階級の文学」を刊行するなど労働文学の作家として幅広く活躍した。昭和7年「禅に生きる」を刊行、以後「華厳経」などの仏教書を多く出版し、12年埼玉県大和田町平林寺僧坊の堂守りとなったが、18年京都の天龍寺の末寺遠塵庵に移る。戦後は浄土真宗に帰依し、25年「真宗に帰す」を刊行。没後「遍歴」と改題されて刊行された。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報