コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

宮嶋資夫 みやじますけお

5件 の用語解説(宮嶋資夫の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

宮嶋資夫
みやじますけお

[生]1886.8.1. 東京
[没]1951.2.19. 東京
小説家。本名,信泰。小学校を卒業後,種々の職業を転々としながら文学に志し,アナーキズムに接近,鉱山労働者の絶望的状況を凶暴で孤独な主人公に託して描いた『坑夫』 (1916) で労働文学の先駆となった。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

宮嶋資夫【みやじますけお】

アナキスト,小説家。本名信泰。東京生れ。四谷小学校高等科中退後,職を転々とする。大杉栄荒畑寒村の《近代思想》を知り,サンジカリズム研究会に参加。続いて労働文学の開始を告げる処女作《坑夫》を刊行(1916年)するが,発禁となる。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

宮嶋資夫 みやじま-すけお

1886-1951 大正-昭和時代前期の小説家。
明治19年8月1日生まれ。早くから職を転々とし,大杉栄らを知ってアナーキストとなる。大正4年「近代思想」発行人となり,5年第1作「坑夫」が発禁処分をうけた。昭和5年思想的悩みから出家。評論集に「第四階級の文学」,自伝に「遍歴」。昭和26年2月19日死去。64歳。東京出身。本名は信泰。法名は蓬州。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版の解説

みやじますけお【宮嶋資夫】

1886‐1951(明治19‐昭和26)
小説家。東京生れ。本名信泰。小学校高等科に学んだ後いろいろな職業を転々としたが,1913年《近代思想》を通じて大杉栄,荒畑寒村らと交渉をもつようになり,みずからの労働体験をもとに大正労働文学の代表作《坑夫》(1916)を発表。その後大杉と隔たり享楽的な生活に入ったりしたが,第1次大戦終了ころから文筆活動に入り,小説集《恨みなき殺人》(1920),《犬の死まで》(1922),自伝《裸像彫刻》(1922),評論集《第四階級の文学》(1922)などを刊行,アナーキズム運動にも従事した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

宮嶋資夫
みやじますけお
(1886―1951)

小説家。東京に生まれる。本名信泰(のぶやす)。小学校高等科に学んだのち、各種の職業を転々とした。やがて雑誌『近代思想』によって大杉栄(さかえ)を知り、アナキズム、サンジカリズム系の労働運動に近づいた。1916年(大正5)には大正期労働文学の先駆作品となった処女作『坑夫』を刊行、その後本格的文筆活動に入ったが、のちに思想的煩悶(はんもん)から仏門に入り、昭和26年京都にて没した。評論集『第四階級の文学』(1922)、自伝『遍歴』(1953)などのほか、仏教関係の著作も多い。[大塚 博]
『『宮嶋資夫著作集』全七巻(1983・慶友社)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

宮嶋資夫の関連キーワード中里介山小学校一条校高等科高等小学校実業科尋常高等小学校辻井喬木曽駒ケ岳の学校登山遭難野村ミス

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone