日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブルーニ」の意味・わかりやすい解説
ブルーニ(Leonardo Bruni)
ぶるーに
Leonardo Bruni
(1370―1444)
イタリアの人文主義者、歴史家、政治家。アレッツォに生まれる。ギリシア語をはじめ豊かな教養を身につけて、1417年から生涯フィレンツェ共和国の書記を務め、優れた才能を発揮する。暝想(めいそう)的理想(文化)と実践的理想(市民的義務への献身)の調和を図り、単なる博識ではなく、人間の生活とくに社会生活の完成に、文化の真の意味をみいだしている。その哲学は倫理的、実践的色彩が強く、人間は市民的活動、政治活動において、その尊厳を獲得するものであり、こうした人間の問題を解決するのが哲学であると考える。この見地からギリシア哲学者の倫理思想を検討し、キリスト教倫理との完全な一致を認める。『フィレンツェ人の歴史』12巻(1404~1610)など、没後にわたって刊行された優れた歴史書のほか、プラトン、アリストテレスなどの多くの著作をギリシア語から翻訳している。
[大谷啓治]
ブルーニ(Fyodor Antonovich Bruni)
ぶるーに
Фёдор Антонович Бруни/Fyodor Antonovich Bruni
(1799―1875)
ロシアの画家。イタリアのミラノ生まれのイタリア人だが、ロシアに帰化。ペテルブルグ美術アカデミーにおいてイワーノフおよびエゴロフに師事。イタリア留学(1838~41)ののち、ペテルブルグ美術アカデミーの教授、さらには学長になった。ローマで描いた『銅色の怪竜』(1825~41、サンクト・ペテルブルグ、ロシア美術館)は古典主義を代表する作品であるが、盲目的な信仰だけが人類を救うことができるという神秘主義に貫かれており、旧ソ連ではこの時代の反動性を示すものと批判された。しかし、イサク大寺院の壁画など多くの作品を残し、晩年は美術アカデミーの学長として、多くの画家たちを育てた。ソ連時代の評価は、彼の作品に表れている宗教性のために厳しいが、再評価される気運にある。
[木村 浩]