プラサード
ぷらさーど
Rājendra Prasād
(1884―1963)
        
              
                        インドの政治家。東部インド、ビハールの小地主の家に生まれる。カルカッタ大学卒業後、弁護士となる。1915年からガンディーにひかれ、1917年のチャンパーラン藍(あい)小作争議では彼の片腕として活躍。ガンディーの忠実な使徒として1920年以降、国民会議派ビハール州組織を足場に民族運動の指導者となる。サルダール・パテールとともにインド財界とも深いつながりを有し、会議派主流である保守長老派とよばれるグループを代表した。1934年を最初に計三度会議派議長を務める。独立インドの初代大統領(在職1950~1962)。『自伝』のほかにインドの分離独立を扱った『分割されたインド』の著書がある。
[内藤雅雄]
                                                          
     
    
        
    出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
	
    
  
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                    プラサード
Prasād, Rajendra
        
              
                        [生]1884.12.3. ビハール,ゼラデイ
[没]1963.2.28. パトナ
インドの政治家。プレジデンシー大学卒業後,大学教授となり,のち弁護士となった。 1917年チャンパランのインディゴ栽培労働者事件を契機に M.ガンジーの思想に共鳴し,20年弁護士をやめ,非協力運動に参加,民族独立運動に丁身。 34,39,48年国民会議派総裁。 46~49年憲法制定議会議長として新共和国憲法の制定に尽力。 50年1月 26日新憲法の発効とともに大統領 (暫定) ,第1回総選挙後再選され,52年5月 15日に正式の初代大統領。健康を害して 62年5月に辞任するまで2期大統領をつとめ,独立インドの政治安定と発展に貢献した。
                                                          
     
            
		
    
        
    出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
	
    
  
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                    プラサード
Rajendra Prasād
        
              
                        1884〜1963
インドの政治家
カルカッタ大学卒業後,弁護士となったが,ガンディーの非暴力・不服従運動に参加。第二次世界大戦勃発後はガンディーに代わって運動を指導し,その間,国民会議派議長となった。1950年独立インドの初代大統領となり,62年辞任。
                                                          
     
    
        
    出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
	
    
  
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