改訂新版 世界大百科事典 「プリニウス大」の意味・わかりやすい解説
プリニウス[大]
Gaius Plinius Secundus
生没年:23ころ-79
古代ローマの博物誌家。イタリアのコモに生まれ,かなり若くしてローマに出て,文学,法律,雄弁術を学び,軍人としての訓練も身につけた。ネロ帝(在位54-68)の治世初期まで,およそ23歳から10年あまり騎兵大隊に所属し,ドイツに駐留した。帰国後は10年間おもに文人として活躍したが,次の皇帝ウェスパシアヌスの信任があつかった彼は,スペインやアフリカ北部に財務官として赴任し,博物誌的な見聞も広めた。晩年はナポリ湾ミセヌム基地の海軍提督になったが,おりから79年のウェスウィウス(ベスビオ)火山の大噴火に際し,人命救助と知的な探索意欲から現場に急行したが,ポンペイの近くで噴煙に巻かれ最期を遂げた。
軍神マルスを始祖とするローマ帝国の武人らしく,彼も公的軍人の勤務に励んだが,ドイツ駐留時すでに戦記物などを書いて文人としての頭角をあらわした。大自然すべての生態に異常な興味を抱いた彼は,古今東西の文献を渉猟し,みずからの観察,思想を織り込みながら,77年ついに《博物誌》全37巻を完成した。これはそれまでだれもなしえなかった野心的な最大規模の自然誌であった。ここには,質実剛健の古き良き農業国ローマの伝統が賛美され,植物に寄せる彼の特別な愛着が随所に読みとれる。また世界精神を標榜する克己・禁欲のストア哲学にのっとり,当時道徳的にますます退廃していく世相に対しても痛烈な批判がなされている。また理論より実際を重んずる点などでも古代ローマを映す最大級の鏡といえよう。この著作に関して,非科学的なものが随所に織りまぜられた知識の寄木細工とみる向きもある。しかし何といっても,これは,当時のローマ最高の知的な総合精神を示しており,中世,ルネサンスを通して尊重されたが,現代においても,依然として至宝的古典の地位を保ち続けるものといえよう。
執筆者:大槻 真一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報