オーストリアの有機化学者。9月3日ライバハ(現在のスロベニアのリュブリャナ)に生まれる。グラーツ大学で医学を学び、ドイツに留学(1904)、オストワルト、E・フィッシャー、アプデアハルデンEmil Abderhalden(1877―1950)のもとで研究、インスブルック大学教授(1910~1913)、グラーツ大学教授(1913)となり、終生同大医化学研究所で研究した。胆汁酸の研究中、微量試料の分析の必要から、精密な天秤(てんびん)の製作をクールマンW. H. Kuhlmannに依頼し、分析装置を改良して試料2~3ミリグラムでも十分でしかも比較的短時間に行える有機定量分析法を考案した。これによって有機化学、生化学の発展に大きな寄与をすることとなり、1923年ノーベル化学賞を受賞した。1930年12月13日グラーツで没。
[岩田敦子]
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オーストリアの有機化学者.グラーツ大学で医学を学び,生理化学を専攻して,1899年同大学の講師となった.1905年ドイツに留学,1910年インスブルク大学化学科長になり,1913年グラーツ大学に戻った.はじめ生化学を研究していたが,1 mg の量で可能な分析方法の改良に取り組み,ハンブルクの機器製作者W. Kuhlmannと協力して,0.001 mg の精度のてんびんを完成し,その後工夫を重ね,微量分析法に成功をおさめた.その著書Die quantitative Microanalyse(初版1917年)が版を重ね,仏訳,英訳もあって,分析法の普及に貢献した.微量分析法の発明による有機化学への貢献が認められ,1923年ノーベル化学賞を受賞した.
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