日本大百科全書(ニッポニカ) 「カロリング朝美術」の意味・わかりやすい解説
カロリング朝美術
かろりんぐちょうびじゅつ
8世紀末から10世紀前半に至る西フランク王国の美術様式をさす。その範囲は現在のドイツ、フランスに及び、フランス語ではこれをシャルルマーニュ様式ともいう。ローマ帝国の復活を夢みるカール(シャルルマーニュ)大帝(在位768~814)の意識的な努力によって招来されたもので、ゲルマン、ケルト両民族の土壌に古代文化とキリスト教とを摂取、融合した点に意義と特色があり、ヨーロッパ芸術の始原をなしている。また、造形芸術では古代末期、ビザンティン様式への愛好が特徴的である。
建築では、アルプス以北での石による大建築の最初の復興で、ローマの影響を直接に取り入れ、その手探りの摂取が新たな解釈を生んでいる。たとえばアーヘンの宮殿礼拝堂(792~800)は、ラベンナのサン・ビターレ聖堂を模した八角堂のプランに大円蓋(だいえんがい)を設けているが、水平断面における緊密な量塊関係が示す集中建築への努力は、ローマ建築への新解釈であると同時に、独自の建造体として本陣に移された「ウェストウェルク」Westwerk(西構え)のような新機軸を生んでいる。後世双塔形式のファサードの成立を促すこの「西構え」は、カロリング朝最大のバジリカ式教会堂ケントゥーラ(北フランス、アベウィル近郊のサン・リキエ修道院聖堂)にも設けられていたことが今日残る素描や設計図で確認されている。北西ドイツのコルワイ修道院聖堂(855~873)にはわずかにそのおもかげが残っている。これら教会堂の内部には、宗教と世俗生活をモチーフとした壁画、モザイクがあったとされるが、今日ではほとんど残存していない。
彫刻と絵画では、金細工、象牙(ぞうげ)細工、彩飾写本のような小芸術が知られている。金細工では『コーデックス・アウレウス』Codex aureus(870ころ・バイエルン国立図書館)、『リンダウの福音(ふくいん)書』(870ころ・ニューヨーク、ピアポント・モルガン図書館)などの表紙装丁が好作例である。そこにちりばめられてある多彩な宝石は、金のレリーフ面に直接はめ込まれたものではなく、繊細な台脚によって黄金面から離されて細工されており、宝石を光の反射でより美しく見せる配慮と、これを可能にした技術の高さがしのばれる。象牙細工もまた福音書の外装に使われている例が多く、たとえば、ベルギーのブリュッセル王立歴史美術館蔵の『勝利のキリスト』(875ころ)は、王者の風格をもつキリスト像が表現され、キリストを救済者としてよりは奇跡の執行者としてまず受け止めたゲルマンの心情を伝えている。彩飾写本では、『カール大帝の福音書』(800~810ころ・ウィーン美術史博物館)、『エボンの福音書』(816~835・フランス、エペルネ市立図書館)、『ユトレヒトの詩編』(820~830ころ・ユトレヒト大学図書館)が名高い。これら写本の流派は、カール王宮直属のものを除いて大修道院に所属し、ザンクト・ガレン、トゥール、ライム、メッツなど各派があった。
[野村太郎]