フランスの小説家、思想家。パリに生まれ、カトリックの信仰のもとに育ち、近代社会に対する危機意識からモーラスに学び、早くから「アクシオン・フランセーズ」の闘士として活躍した。第一次世界大戦から復員したのち、1926年『悪魔の陽のもとに』を発表して文壇にデビュー。以後『よろこび』(1929)、『田舎(いなか)司祭の日記』(1936)、『新ムーシェット物語』(1937)、『ウィーヌ氏』(1943)などの作品によって、現代における信仰の欺瞞(ぎまん)を暴き、殺人さえおこる憎悪や罪の渦巻く世界での人間の聖性と悪魔性との激しい相克を描き続け、20世紀におけるドストエフスキーの正統な後継者の地位を占めた。彼にこのような小説を造型させた危機意識は、また彼をユニークな思想家たらしめた。そして1931年反ユダヤ主義者ドリュモンÉdouard Adolphe Drumont(1844―1917)の鎮魂歌『心正しきものの大いなる恐怖』によって近代社会そのものを告発し、スペイン市民戦争(スペイン内戦)が勃発(ぼっぱつ)するや『月下の大墓地』(1938)を著して、聖なる戦いの美名のもとに無辜(むこ)の民衆を殺戮(さつりく)するファシストとそれを支援する教会を弾劾した。1938年祖国に絶望してブラジルに移住したあと、1940年にフランスがドイツに降伏するや、『イギリス人への手紙』(1942)などによりファシズムへの抵抗を祖国に訴え続け、ドゴール将軍と並んでレジスタンスの先駆者の栄誉を担った。第二次世界大戦後1945年に帰国するが、デモクラシーの勝利に酔う戦後社会のなかにあって、ひとり敢然と機械に支配される現代文明の未来に警告を発し、世界全体主義化の危険を説いた。戦後の作品としてはエッセイ集『自由、何をなすためか』(1953)、ドミニコ会士で作家のブリュックベルジェRaymond-Léopold Bruckberger(1907―1998)のシナリオにつけた対話『カルメル派修道女の対話』(1949)などがある。
[渡辺一民]
『渡辺一民編『ベルナノス著作集』全6巻(1976~1982・春秋社)』
フランスの作家。カトリック系の学校で中等教育を受け,一時聖職につくことを考えたあと,それを断念,アクシヨン・フランセーズに加入してその活動分子となり,ルーアンで王党派の週刊紙の主筆としてアランに対抗した。第1次世界大戦に従軍後,アルスの聖人ビアンネーをモデルとした小説,《悪魔の陽のもとに》(1926)で成功を収め,その後《欺瞞》(1927),《歓び》(1929。フェミナ賞),《田舎司祭の日記》(1936。アカデミー小説大賞),《新ムーシェット物語》(1937)などを発表,20世紀カトリック小説の代表的作家となる。1934から37年まではスペインのマリョルカ島に移住,《月下の大墓地》(1938)で,スペイン内乱におけるフランコ側の大虐殺に抗議した。38年,多年夢みていた南アメリカへの移住を決意,ブラジルに定住した。《ウイーヌ氏》(1943)を執筆する一方,第2次世界大戦中は,《われらフランス人》(1939),《イギリス人への手紙》(1942)などによって,抵抗運動の精神的支柱となった。45年,ド・ゴールの招請で帰国,《ロボットと戦うフランス》(1947)などで,現代の技術主義的文明を激しく攻撃した。晩年の2年間はチュニジアで過ごし,病を得て帰国直後に没した。
執筆者:山崎 庸一郎
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…日本の《土曜日》の名称はこれにならった)以下おびただしい数の週刊誌が,主としてフランスで作家や知識人の手で創刊されだすのも,この時期にほかならない。このほか,従来右翼作家とみなされてきたモーリヤック,ベルナノスらがスペイン内乱の現実を目にして反ファシズムの陣営に加わったことも記しておこう。とはいえ,36年末刊行のジッドの《ソビエト旅行記》,そのころからしだいに西欧に広がりだしたソ連の粛清裁判への疑惑,さらに37年5月のスペイン共和政府内における共産党によるアナーキスト,トロツキストの粛清といった一連の事実が,共和政府側に不利に展開しだした戦局とともに,反ファシズム戦線に亀裂を生じさせていったことは否定できない。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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