ホルテル(Cornelius Jacobus Gorter)
ほるてる
Cornelius Jacobus Gorter
(1907―1980)
オランダの物理学者。ユトレヒト生まれ。ライデン大学においてデ・ハースWander Johannes de Haas(1878―1960)のもとで学び、フローニンゲン大学講師を経て、1940年アムステルダム大学教授およびゼーマン研究所長、1946年にはライデン大学教授となり、あわせて同大学のカマーリン・オネス研究所長を兼務した。その後王立科学アカデミー総裁などを歴任。ライデン大学では理論物理学者カシミールHendrik Brugt Gerhard Casimir(1909―2000)とともに、通常相から超伝導相への相状態の変異に対して、熱力学の諸原理を応用する研究に携わり、1936年、常磁性体の磁場に対する緩和現象を発見し、これを研究したほか、超流動、超伝導など低温物理学の分野で多くの業績をあげ、カマーリン・オネスの路線を受け継ぐ第三世代の代表となった。著書に『低温物理学の発展』Progress in Law Temperature(全6巻、1955~1970)ほかがある。
[渡辺 伸・小林武信]
『クラース・ファン・ベルケル著、塚原東吾訳『オランダ科学史』(2000・朝倉書店)』
ホルテル(Herman Gorter)
ほるてる
Herman Gorter
(1864―1927)
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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ホルテル
Herman Gorter
生没年:1864-1927
オランダの詩人。ウォルメルフェールWormerveer生れ。古典学を学び,一時教職につく。1880年代の文学革新運動グループ〈80年代派Tachtigers〉の一人で,89年発表した詩《五月》は新鮮な想像力と独自の言葉でオランダの自然を歌いあげ,また象徴主義的手法で地上のうつろいやすい美と天上の永遠の美を表現した。そののち,感覚主義的な詩において詩的言語表現の可能性を探求するかたわら,スピノザへの沈潜に精神の均衡を求めた。90年代以降,社会主義運動とマルクス主義理論の研究に没頭し,94年に成立した社会民主労働党に参加。しかし,《新時代Nieuwe Tijd》誌に拠るマルクス主義知識人グループとして主流派の修正主義と激しく対立し,1909年除名された,《トリビューン》誌による若い知識人革命主義者グループとともに社会民主党(のちの共産党)を設立した。1898年から女流詩人H.G.A.ローラント・ホルストとともに《新時代》誌の編集者となり,20年にわたって政治的見解を発表し続けた。この間も詩作に励み,《牧神》(1912)で社会主義的叙事詩の創造を試みた。
執筆者:栗原 福也
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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ホルテル
Gorter, Herman
[生]1864.11.26. ノルトホラント,ウォルメルフェール
[没]1927.9.15. ブリュッセル
オランダの詩人。マルクス主義の立場に立ち,社会民主主義から共産主義へ移ったが,のち第3インターナショナルやレーニンと衝突した。詩集『五月』 Mei (1889) はオランダ文学に新風をもたらした。ほかに評論『オランダにおける 1880年代の文学運動と批評』 Kritiek op de litteraire beweging van1880in Holland (98~99,1908~09) がある。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のホルテルの言及
【オランダ文学】より
…一方,[ベーツ]は写実的ユーモア小説の傑作《カメラ・オブスキュラ》(1839)を書き,また[ムルタトゥーリ]は自国の植民政策の非人道性を告発した小説《マックス・ハーフェラール》(1860)を発表し,その熱情的理想主義と斬新なスタイルは近代オランダ文学に絶大な影響を与えた。19世紀後半におけるオランダ社会の急速な近代化と自由主義の伸展に呼応して,文壇に新風を吹きこんだのが〈80年代派Tachtigers〉と呼ばれる[クロース],[フェルウェー],[エーデン],[ホルテル]らを中心とする若い詩人たちである。彼らは《新道標Nieuwe Gids》誌に結集し,美それ自体を目的とする芸術至上主義を掲げて先輩たちの道徳的教訓的通俗性を激しく攻撃した。…
※「ホルテル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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