日本大百科全書(ニッポニカ) 「オランダ文学」の意味・わかりやすい解説
オランダ文学
おらんだぶんがく
ネーデルラント地方に民族固有の文学がおこったのは、12世紀から13世紀にかけてである。それ以前の文学は、古くはゴート語で書かれ、さらにキリスト教化が進むにつれてラテン語が用いられた。オランダ文学は、各時代を通じて隣接諸国の影響のもとに発展してきた。わけてもフランスの影響が著しいが、そのほかイギリス、イタリア、ロシア、ギリシア・ローマの古典などに啓発されながら、しだいに独自の文学を形成していった。
[近藤紀子]
中世
12世紀から13世紀にかけて、フランドル地方にオランダ語韻文による作品が現れる。まず騎士道物語的叙事詩が栄えるが、オリジナルはわずかで、ほとんどが翻訳本であった。またこの時代、国際的に有名だったのは宗教詩や神秘詩で、神と人間との一体化を歌った情熱の女性詩人ハーデウィヒ(1200ころ―1269ころ)や神秘的、教訓的散文を書いたルースブルック(1293―1381)らが輩出した。『狐のレイナルーデの話』(1250ころ)は洗練された動物叙事詩で、中世文学の至宝の一つとされている。中世後期は戯曲が重要な地位を占め、作者不詳の勧善懲悪劇『エルケルック』(1500ころ)は英訳『エブリマン』で有名になった。
[近藤紀子]
17~19世紀
17世紀はオランダの黄金時代であるが、この時期には文学の分野でも非常な繁栄をみせた。ギリシア・ローマの古典文学を範とする文学風潮のもとに、カッツJacob Cats(1577―1660)、ホーフト、ブレーデロ、フォンデル、C・ハイヘンスConstantijn Huygens(1596―1687)ら名実ともに一級の文人が輩出してにぎわった。18、19世紀には、諸外国の古典主義、ロマン主義、理性主義などの影響を強く受けたが、多くは先人の作品やフランス古典主義の模倣、追従に終わり、特筆すべき作品はほとんど見当たらない。ただベーツの短編集『カメラ・オブスキュラ(暗箱)』(1839)は当時のオランダ市民生活を風刺とユーモアをもって描き、オランダ写実主義文学の先駆となった。
[近藤紀子]
近代
ムルタテューリの、オランダ領東インド(現、インドネシア)の植民地政策を批判した著者自身の個人的な体験に基づいた歴史小説『マックス・ハーフェラール』(1860)は、ロマン主義の傑作であるばかりでなくオランダ近代文学の夜明けを告げる作品で、その情熱的理想主義と独自のスタイルは後代に大きな影響を与えた(本名はエデュアルト・ダウエス・デッケルで、「ムルタテューリ」とはラテン語で「我あまた忍べり」の意)。続いて、オランダ領東インドを舞台にした『秘める力』(1900)やハーグの頽廃(たいはい)の上流社会を描いた『エリーネ・フェーレ』(1889)などの傑作を出した写実主義の代表作家クペールス、1930年代のスラーエルホフ、フェストデイクらが現れる。詩の分野ではクロースWillem Kloos(1859―1938)、エーデン、ホルテルらのいわゆる「1880年代グループ」が新詩潮運動をおこした。オランダ人は劇場通いよりも教会通いが好きな国民だったというのがその一つの理由として考えられるが、オランダには小説・戯曲よりも詩にアクセントを置くという文学伝統のようなものがある。1880年代の詩革命が「教区詩」の単調な韻文に反抗しておこったことはけっして偶然ではなかった。「1880年代グループ」によって、詩は冒険となった。その後、第一次世界大戦ごろ、フランドル地方(ベルギーだがオランダ語を公用語とする)から現代主義・表現主義運動が始まり、若くして他界した鬼才ファン・オスターイェ、オランダ人のだれもがいまもなお口ずさむ愛誦(あいしょう)詩『とこしえのオランダ』の作者マルスマンHendrik Marsman(1899―1940)、1916年のデビューから半世紀にわたって文壇で重要な役割を果たしたネイホフMartinus Nijhoff(1894―1953)らの詩人が輩出した。
[近藤紀子]
第二次世界大戦後
第二次世界大戦後、ドイツの占領下から解放された幸福感と新世界への息づきのなかから「1950年代実験詩グループ」が結成されて、オランダの詩は「表現の手段」から「精神の活動」へ、「質素」から「華麗」へと変わり、語順変化や文法に反することも躊躇(ちゅうちょ)しないなどの、伝統的詩法の変革をスローガンにした。この新詩風運動はコブラ(コペンハーゲン、ブリュッセル、アムステルダムを結ぶ前衛美術運動)と一体化して、ルチベールLucebert(1924―1994)、カウエナールGerrit Kouwenaar(1923―2014)、カムペルトRemco Campert(1929―2022)、クラウスらがこのグループの中心になって一世を風靡(ふうび)するに至った。ルチベールの本名はベルト・スウァーンスウェイクBert Swaanswijk。ルチベールはラテン語で光を意味する。
小説の分野では、1940年代末から1950年代にかけてオランダ文学を代表する大作が出る。進展遅々とした戦後社会への失望感、幻滅感を表現したレーフェの『宵』(1947)、現今の社会主義を生温(なまぬる)いとし、本質的な価値を探究しようとするボーンの社会主義小説『チャペルへの道』(1953)、戦争時における善悪の問題を問い、人間の得体の知れなさを描いたヘルマンスの秀作『ダモクレスの暗室』(1958)、同性愛を描いたアンナ・ブラーマンAnna Blaman(1905―1960)の『孤独の冒険』(1948)、戦時に自分の爆撃したドイツのドレスデンを戦後再訪する主人公の米国空軍パイロットを通して、冷淡な現代人像を描いたムリッシュHarry Mulisch(1927―2010)の『花嫁の石の寝床』(1959)など。
1960年代の性道徳の解放によって、ウォルケルスやレーフェらの、当時「猥褻(わいせつ)な」と称されたことばを多く使った性的な作品が若者たちを沸かせ、旧(ふる)い道徳観念をもった諸氏からは顰蹙(ひんしゅく)を買った。1970年代以降をみると、詩では、1950年代グループが軽蔑(けいべつ)したソネット(定型詩)形式を復活させた「オランダ王国詩人」の称号をもつコムレイGerrit Komrij(1944―2012)が出る。小説の分野では、『フィリップと仲間たち』(1955)、『騎士は死んだ』(1963)、『儀礼』(1980)、『次の物語』(1991)といった一連の作品を通して現実とフィクションが交差する二元性の世界を描いたノーテボームCees Nooteboom(1933― )、『メッシエル家の人々』(1950)、『ベルギーの悲しみ』(1983)、『噂(うわさ)』(1996)に至る一貫した土着性の豊かな世界を描いたクラウス、理性の尽きるところで信仰は始まるというテーマを扱った美麗な作品『神秘の身体』(1986)のケレンドンクFrans Kellendonk(1951―1990)、敵国ドイツへの協力者である裏切り者を地下抵抗運動グループが暗殺するという、罪と罰の問題を世界史における重大な時点に結び付けた『暗殺』(1982)、作家は神と同格なり、作家は現実の創造者であるからだという『時熟す』(1985)、エディプス神話、人は技術に任せきりになると没落するという思考、密閉の哲学などのテーマの総合体である『天国の発見』(1992)のムリッシュ、若手作家の旗手として、社会に楯突(たてつ)く反抗の思春期を描いたデビュー作『月曜日はいつもブルー』(1994)、『エキストラ役』(1997)のフルンベルフArnon Grunberg(1971― )がいる。
[近藤紀子]
『朝倉純孝著『オランダ文学名作抄』(1977・大学書林)』▽『アルノン・フルンベルク著、村松潔訳『月曜日はいつもブルー』上下(2000・草思社)』▽『Christine Brackmann & Marijke Friesendorp:Oosthoek Lexicon,Nederlandse & Vlaamse Literatuur(1966, Kosmos-Z & K Uitgevers, Utrecht/Antwerpen)』▽『Annette Portegies & Ron Rijghard:Nederlandes Literatuur in een notendop(1999, Prometheus, Amsterdam)』